『正欲』トーホーシネマズ池袋4
- Date
- 2023/12/05/Tue 23:54
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『正欲』トーホーシネマズ池袋4

▲ガッキー💜
五つ星評価で【★★★★背負い投げ食らわされるような良い映画】
ツイッターでの最初と二つ目の感想(↓)
チャレンジングな役を演じるガッキーから目を離せない。しかし逆に無茶苦茶ロマンチックだ。私はああいう性癖ではないがああいうのには憧れる。私も普通からの落伍者だから。とても紋切り型の普通の象徴である稲垣吾郎と教室で笑う大衆こそが物を言う事を許さない空気だ。ガッキーの子供時代の女の子がたまらない。
「性的嗜好」や「性癖」を題材にした一般映画は非常に珍しく感じる。
しかし「セックス」に不自由である事は決して幸せではないが、それを「死」の理由に選ぶほど「セックス」は人生の根幹だろうか? などと「セックス」に不自由な自分は思わなくはない。世の中、向き、不向きがあって私はそんなに「セックス」には向いてなかった。そう思いながら今は老人だ。なので、百万人に一人みたいな組み合わせのカップリングを見つけられるこの話は無茶苦茶ロマンチックだ。
一方、この映画の性癖の中で唯一断罪されてしまうのが「小児愛好」。これはまずい。まずいのではあるが、生まれた時代が1000年くらい早かったら罪に問われなかったかもしれない。生理が始まる中学生くらいから性行為は可能だし、昔はもっと早婚だった。まずいのは年齢や力の強い者が弱い者に対して行う強制性にある。あと、ついでに法を侵すのも悪い。勿論、性機能をまだ要さない子供や幼児に対して行う性行為は以ての外だ。ただ、この「小児愛好」も与えられてしまった物だとしたら、その人個人を弾劾するのも意味がなくはないが、薄い。おそらく「小児愛好」は生来の素質ではなく、外的環境要因が強いので、我慢すればいいという理屈は通るのだが、DVが親から子供に環境的に遺伝するケースが多いように、「小児愛好」も根深く躾けられてしまったのなら治しようがないのではないか。だから別にそういう人は「セックスをしない」人生を歩めばいいと思うのだが、性的犯罪はけっこう再犯してしまうらしいし、けっこう「セックス」が脳内に大きく占める人は多いのかもしれない。
にしても「水」に欲情するという性癖はあるのだろうか? 性癖、性的嗜好に関しては、自分が他人に対してどのように扱いたいか、扱われたいかが形に出る。「加虐」「被虐」はその分かりやすい一例だし、「露出」なども自分が露出する事による相手の反応を引き出す事が目的だろう。「水」については自分と水だけで他人が存在しない。だからこそ「スーパー・アブノーマル」であり、稲垣吾郎から想像もできない性癖に位置付けられるのかもしれない。水を見ているだけで勃起したり、水を見ているだけで女性器が濡れてきたり、何かそこに性癖のメカニズムが見つけられないから、とても奇妙に思える。水に対して意志あるものとして感情移入するという転換が行われているのか? ソラリスの海か? 小さい時にレインボーマンの水の化身を名乗る男にイタズラされた経緯があるとかか? 『美女と液体人間』というのもあるが、あれで性的興奮はしないと思うぞ、普通。
「セックス」は一般的に秘め事だから、ホテルなどで一杯の水とコップ二つで水を移しかえるだけで、絶頂に達してしまう二人とかが実は知らないだけでいっぱいいるのかもしれない。そういうガッキーが見たい。しかし、コップで水を移しかえるだけの風俗は普通に流行らないだろう。ガッキーが相手してくれるならお触り禁止でも行きたい。興奮できる自信はない。
【銭】
トーホーシネマズの鑑賞ポイント6回分使って無料鑑賞。
▼作品の概要はこの辺り見てください。
・正欲@映画.com
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です
・正欲@ノラネコの呑んで観るシネマ

▲ガッキー💜
五つ星評価で【★★★★背負い投げ食らわされるような良い映画】
ツイッターでの最初と二つ目の感想(↓)
チャレンジングな役を演じるガッキーから目を離せない。しかし逆に無茶苦茶ロマンチックだ。私はああいう性癖ではないがああいうのには憧れる。私も普通からの落伍者だから。とても紋切り型の普通の象徴である稲垣吾郎と教室で笑う大衆こそが物を言う事を許さない空気だ。ガッキーの子供時代の女の子がたまらない。
「性的嗜好」や「性癖」を題材にした一般映画は非常に珍しく感じる。
しかし「セックス」に不自由である事は決して幸せではないが、それを「死」の理由に選ぶほど「セックス」は人生の根幹だろうか? などと「セックス」に不自由な自分は思わなくはない。世の中、向き、不向きがあって私はそんなに「セックス」には向いてなかった。そう思いながら今は老人だ。なので、百万人に一人みたいな組み合わせのカップリングを見つけられるこの話は無茶苦茶ロマンチックだ。
一方、この映画の性癖の中で唯一断罪されてしまうのが「小児愛好」。これはまずい。まずいのではあるが、生まれた時代が1000年くらい早かったら罪に問われなかったかもしれない。生理が始まる中学生くらいから性行為は可能だし、昔はもっと早婚だった。まずいのは年齢や力の強い者が弱い者に対して行う強制性にある。あと、ついでに法を侵すのも悪い。勿論、性機能をまだ要さない子供や幼児に対して行う性行為は以ての外だ。ただ、この「小児愛好」も与えられてしまった物だとしたら、その人個人を弾劾するのも意味がなくはないが、薄い。おそらく「小児愛好」は生来の素質ではなく、外的環境要因が強いので、我慢すればいいという理屈は通るのだが、DVが親から子供に環境的に遺伝するケースが多いように、「小児愛好」も根深く躾けられてしまったのなら治しようがないのではないか。だから別にそういう人は「セックスをしない」人生を歩めばいいと思うのだが、性的犯罪はけっこう再犯してしまうらしいし、けっこう「セックス」が脳内に大きく占める人は多いのかもしれない。
にしても「水」に欲情するという性癖はあるのだろうか? 性癖、性的嗜好に関しては、自分が他人に対してどのように扱いたいか、扱われたいかが形に出る。「加虐」「被虐」はその分かりやすい一例だし、「露出」なども自分が露出する事による相手の反応を引き出す事が目的だろう。「水」については自分と水だけで他人が存在しない。だからこそ「スーパー・アブノーマル」であり、稲垣吾郎から想像もできない性癖に位置付けられるのかもしれない。水を見ているだけで勃起したり、水を見ているだけで女性器が濡れてきたり、何かそこに性癖のメカニズムが見つけられないから、とても奇妙に思える。水に対して意志あるものとして感情移入するという転換が行われているのか? ソラリスの海か? 小さい時にレインボーマンの水の化身を名乗る男にイタズラされた経緯があるとかか? 『美女と液体人間』というのもあるが、あれで性的興奮はしないと思うぞ、普通。
「セックス」は一般的に秘め事だから、ホテルなどで一杯の水とコップ二つで水を移しかえるだけで、絶頂に達してしまう二人とかが実は知らないだけでいっぱいいるのかもしれない。そういうガッキーが見たい。しかし、コップで水を移しかえるだけの風俗は普通に流行らないだろう。ガッキーが相手してくれるならお触り禁止でも行きたい。興奮できる自信はない。
【銭】
トーホーシネマズの鑑賞ポイント6回分使って無料鑑賞。
▼作品の概要はこの辺り見てください。
・正欲@映画.com
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です
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