
▲アマゾン・アルファは顔立ちが大巨獣ギララにちょっと似てる。
五つ星評価で【★★残念な結末】
SEASON1は対立軸の設定が秀逸だった。
「アマゾンズ」という存在は潜在ゾンビ予備軍の亜人である。
そのゾンビを作った後悔から全てのゾンビ菌保持者をゾンビ覚醒の有無に関わらず殺戮しようとする男(アマゾン・アルファ)と、ゾンビ菌保持者から社会適合個体だけを選別して守ろうとする男(アマゾン・オメガ)との戦いだった。対立軸はしっかりあるのだが、どちらも折れない為、最後まで戦い続けてダブルノックダウンのような形で終わった。
アマゾン・アルファは四千匹の人喰い虎を世に放った人間の責任の取り方として、最後まで姿勢が変わらなかった。
もう一人の主人公アマゾン・オメガは自分を人間と信じていた為、アマゾン狩りに加担し、人を襲うアマゾンの殺戮にも疑問がなかった。SEASON1は彼が仲間のモグラアマゾンの人肉嗜好覚醒や非覚醒者の多くのアマゾン達との出会いから考えを変えていく、その過程を捕えたドラマであるとも言える。オメガが少しずつ意見が変わるのにアルファが不動なので最後まで対立が続いた。その分かりあえなさがリアルだったと言える。そして、この両者にはそれぞれのいい分があり、どちらもその側に立つ者からすれば正義なのである。
SEASON2は新たに人間に感染するアマゾン細胞というギミックを使い、更に面白い対立軸が出来るかと思われた。
もともと人間であるがアマゾンになってしまった者、自己を守るために人をアマゾンに変えようとするアマゾン、ともかくアマゾンと見れば出自無関係に殺しまくる人間を描く事で、誰かが誰かを殺す事は何が満たされれば正義なのかを見直そうとしているように見えた。
でも「少年」と「少女」のラブ・ストーリーに注力しすぎた為、本来、語るべき「アマゾンの世界での適者生存の適者とは何者か」という命題が適当になった。アマゾン・人間に関わらず、ともかく戦って死ぬ者は単に死ぬ、それをただ後追いするだけみたいな話になってしまった。最終的にはアマゾンはほぼ駆逐完了され、人からアマゾンになった者の懊悩も、自己を防衛する為に他人に不利益を働く者の不正義を許していいのかという命題も、なし崩し的に解答がどこかに飛んで行ってしまった。
劇場版はアマゾンが最後の二体へとなっている。
今回の問題提起はアマゾンが養殖され、その肉が提供されるコミュニティだ。
人喰いのアマゾンを育て、人間がアマゾンを食うという逆スタンスの提供。
この設定が生きない。
と言うのは、前提の話の中で、さんざん人間の勝手なアマゾン虐殺を描いてるので、この設定が全く斬新に見えないのだ。まあ、それくらいはやるだろう、と言う感じ。そして、この設定はもう一つ問題を含んでいる。大量脱走して、個体が社会内に潜伏するようなケースでは使えないが、完全管理育成しているのなら、人喰い本能を発芽しないよう抑制する事は可能である。そうしない理由がない。つまり、コミュニティーではもっと簡単に安全に食肉化が可能である。大量販売できないような食肉を極秘に作るくらいなら豚や牛を育てた方が効率かが良さそうでもあるし。何やってるんだよ、野座間製薬。
って事で、あまり意味のない対立と戦いをしながら、終わっちゃったなあ、アマゾンズという感じ。ともかく延々と戦っているんだけど、その延々と戦っている戦いにSEASON1くらいしか説得力を持たせられなかったのが残念だ。
主人公の一人オメガが罪を一身に背負い、どこかに旅立っていく様子はちょっと梶原一輝ヒーローっぽいかもしれん。あの罪を背負う必要があったのかどうかは疑問だが、ヒロイズムとしてはいいのかな。
【銭】
4回分東映株主券2000円をチケット屋で買って4回分のうち1回(1枚目)。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判@ぴあ映画生活
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・劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season2 輪廻@死屍累々映画日記・第二章