そんな映画にヤクザが因縁ふっかけてるみたいで恐縮なんだけど、「たかだか動くポンチ絵風情が優等生ぶってんじゃねえぜ」と言っておこう。親に睨まれる作品こそ価値がある、なんて捻くれた事を主張する気は全くない。ただ、親といっしょになって持て囃されるような映画は生命力が低い気がする。長い事、作り続けすぎた為に疲弊してしまった「映画ドラえもん」に必要なのは、きれいに収まる事ではなく、どちらかと言うとぐちゃぐちゃにはみ出すことを恐れない事ではないのか?
【パルコ調布キネマの旧6回券、最後の一枚】
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