もう、夜も遅くてお肌にも悪いから一言だけ。
TV朝日深夜放送『秘密結社鷹の爪カウントダウン』のEDテーマがファンキーでかなりいい。
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実は今の今まで、ライブドアのカテゴリ単位のブログランキングが確認できるなんて事を全く知らなかった。
で、確認してみました。
「映画一般」4544ブログある中の85位
割と凄くない。
100位以内に入ってるとは思いもよらなかった。
映画の公式ブログや、有名人のブログに勝てないのは当たり前だけど、というか、井口昇や鷹の爪団に並ぶなんて考えられないってか、おこがましいね。基本、ナイフ持って繁華街で暴れないと名前が社会に出ないような無名くんの書き散らしてるプログな訳ですから。しかも、ここんとこ、映画の話も薄かったりするし。髪も薄くなってきてるし。
「ははははは、6位以下はランダムで変わるんじゃ、洒落じゃよ、洒落」
ひええええい。そんな神の声はやめて。
ブログの一番上「
[ 映画 - 一般 ]」って書いてある「一般」のLINKを押して、ベスト5以降を見る為に「
[映画/一般]ブログランキング」のLINKを押すと、運がよければ私のブログも並んでます(神の声が正しかったり、なんか国家的な謀略が仕組まれてなければ)。
仕組みとして、どうやればランクが上がったり下がったりするのか今ひとつ理解してないんですが、やはり「気は心」とかとも言いますし、お百度参りとかすると上がるんじゃないかって思います。私はやりたくないから、有志の方の参加を募ります。
よおし、みんな、がんばれ。
絵が何かイラッと来る。
魂がないのに萌っぽく描こうとしているような。
宗教的にあまり詳しい事は知らないのだけど、そもそも、仏陀は再誕する物なのか。輪廻転生の仕組みから抜け出した存在が仏陀だった筈。という訳で、もしかしたら、これはバックボーンの宗教団体そのものが仕掛ける壮大な羞恥プレイなんじゃないだろうか。
恥ずかしいと思われる事を歓びに変える集団。
複雑ですね。
恥ずかしいなんて考えていたら、そもそも宗教活動なんて出来ない。組織ぐるみの解脱の第一歩だったりするのかも。でも、毎年、何か不思議な羞恥行為を映画興行で繰り返してる気もする。組織が大きくって一回じゃ隅々にまで広がらないのか。
というか、映画興行自体が羞恥を考えさせなくする修業の場なのか。
まあ、その宗教団体に只で映画入場させて貰ったから、あまり強く言うのもなんなんですが。代わりに書かされたアンケート用紙の住所・氏名欄がフリーだったのは評価します。でも、アンケート用紙の五段階評価欄に、明らかに「つまらない」とかの選択肢が欠けている項目があったのは「だっせーな」と思いました(用紙、渡しちゃったから、どの程度そうだったかは、はっきり覚えていない)。あのアンケートを使って満足率とかを宣伝するんだろうなあ。それは誠実ではない。嫌だな、誠実でない宗教団体。いや、ただ単に気づいていなかったのかもしれない。嫌だな、細かい注意力が散漫な宗教団体。
さて、映画自体の話に入ろう。
前置き長すぎた。
で、話は平べったくってつまらない。
けど、後半ニセ仏陀と再誕仏陀が満員のドーム球場で、サイキックパワー合戦をするというクラクラした展開で見せる特殊効果には冷静さを失って、思わず面白いと思ってしまった。
いや、元から歪んだ視線で観ている者をも、頷かせてしまう妙な視覚効果。頑張ってる気がするなあ。これは初期のつまらなかった平成ゴジラで、特撮だけ突出して良かったことと似ている気がする。がんばれ技術者。誰も見てない気もするけど。
【銭】劇場前で無料モニターを募集していた(鑑賞後アンケートの記入が必須)。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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仏陀再誕@映画生活ちなみに、お金を落とすのが嫌だから買ったりはしないけど「♪さよなら、仏陀」というサビがTVスポットでもジャカジャカ流れてたテーマソングはキャッチーなメロディーが頭の中に何回もリフレインしてしまうという弊害を起こすくらい、困った事にいい曲だ。いや、歌詞はサビしかしらないから、別に洗脳されてる訳じゃないよ。
ふざけます。ふざけずにいられるか、こんなベーシックでしっかりした映画。
『沈まぬ太陽』、太陽が本当に沈まなかったら、それは地球の自転か公転に何か異常が起きているという事なんだけど、そういう映画ではない。人類誕生の地、アフリカや、神の鉄槌が下ったかのような航空事故も描かれるが、別にパニック映画ではないのだ。
『沈まぬ太陽』。そう、略して『不沈太陽』。うわあ、一気にかっこ悪くなっちゃったよ。その『不沈太陽』だが、渡辺謙がかっこいい。ちょっと暴論かもしれないが、渡辺謙を撮ってさえいれば、映画として成立してしまうようだ。役所広司も同じタイプ。
そんな鉄板主役の裏を張るのが三浦友和。紳士服の宣伝に出てる時には全くそうは思わないが、映画に出るといい役者である事を再認識させられる。ああ、実生活では百恵と、バーチャルでは松雪さんとだなんて、うらやましいったらありゃしない。ただ、ラスボスとしては最後の倒れっぷりが中途半端だったのが、尺の関係だろうけど残念だ。
松雪さんもキャビン・アテンダントではなく、スチュワーデス(♥)、厚化粧に変な髪形で、友和に殴られる。ほとんどプレイだ。いいなあ。映画を観ていて、友和の妻と勘違いしていた。愛人役である。失礼な物言いだけど、松雪さんには愛人がよく似合う。愛人になる為に生まれてきたんじゃないかとさえ思う。いいなあ(♥)。
戸田恵梨香100点。日本人だったら戸田恵梨香みたいな娘を持ちたくなる。それが日本人だ。日本人でよかった。
あと加藤剛がどこからどう見ても、物凄く爺になってて怖かった。
痩せ具合が最期の丹波哲郎に似ていてやばい。
そして、ずっと生きてきたにもかかわらず、驚くほど生活感がない。まるで生まれてからヨボヨボになるまで、ずっとガラスケースの中で育成されたみたい。このまま生き続けるなら、ちょっと独特な役者として特殊な位置に君臨しそう。あ、骨格とか全然違うんだけど加藤嘉っぽい。
小林稔侍もよく老けた。こっちは清濁合わせ持つ俗物爺。もう何かにつけ「キケロ人のジョーの癖に」なんて言う奴は、日本で100人くらいにまで下がったと思うんで、安心だ。
映画は長いけど、飽きさせない。面白い。
燃費がいい映画だ。
ラストの閉じ方は理屈は合ってるかもしれないけど、理屈だけの話で言うなら『幻の湖』のラストだって理屈は合ってる訳だから。おそらく原作がそうであったとしても、映画は別のラストを選ぶ選択肢はあった筈だ。
【銭】パルコ調布キネマ会員割引で1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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沈まぬ太陽@映画生活そうだ。アフリカでグラサンかけてる渡辺謙が何故だか「たむけん」っぽくって、「ちゃー」とか言いそうだ、とか思ったのは私だけだろうなあ。いや、別に同意はいらない。
例えば、俺が恋に落ちたなら、映画なんか見ないでずっと君の顔を見ているだろう。でも、俺はチキン野郎だから恋になんか落ちない。多分、12月1日も何を見ているかはともかく、どこかの映画館の席に埋もれてると思う。そうか、別に映画の日であるなしに関わらず映画は見ていて、それは単なる日常の延長であって、特別でも何でもないから、何をどうって連想が働かないんだな。
だから、あえて何かを見たいかって言われたら、映画はともかくとして、目の前で自分の人生の「転機」が見れたりしたら見てみたい。そんな寝ぼけた事を言ってると、神様は「分かった」とか言って、俺に車を突っ込ませてきたりしそうだ。それは嫌だな。
ネガティブだな、俺。
そら、漢字変換も「鯉に堕ちる」とか出すわ。
鯉に堕ちたら幸せか?
行為に堕ちるなら幸せか?
どこかで何か間違えていきなり幸せになったりしないかなあ。
何か壷を売りたい奴が群がりそうな文面になってきた。
壷は他で売れ。
搾取なれしてる奴が望みなら、北朝鮮にでも販路を伸ばせ。
映画の話題とはかけ離れた。しまった。映画ブログなのに!
一日だったら、試しに女になって、あんな事やこんな事もなんだけど、一生だったら、ちょっと深刻。でも、普通に考えたら、今の記憶を引き継いで生まれ変わる訳ではないので、どっちでもいいですね。記憶がないなら別人じゃん。
記憶を残せるなら、今の性別。わかってる分、応用が効く。
リーンカーネーションお試しセットみたいなお手軽が許されるなら、美人の「ふたなり」が魅力的。それでAVとか出れたら、いい記念になれるなあ。その記念を別の人生に生かせるかどうかが難しいところだけど。
世界を股にかけたジュエルマスター(宝石使い)の活躍を描く。
宝石同士が呼び合ったり、宝石の出す波長を感じたり、その辺の能力はいいとして。最終的に女主人公の持つ武器と必殺技が石をブロック塀状に加工したカイザーナックルで悪い奴を蛸殴りという、とても原始人ウホホホな頭の悪さに軽く脱帽。この場合の「頭が悪さに脱帽」はダメでケナシちゃう方。ええい、ハゲ野郎!(「貶し」と「毛無し」を掛けてます)
三巻までで、3人のジュエルマスター(宝石使い)が出てきたが、何かどれも嫌な性格なのは何でだろう。マンガの描き手が女性に強い不信感を持ってるとしか思えない。
あっ、表紙の箔押しメタル文字は綺麗。
本屋で手にとって「うんうん、この表紙のこの仕上げか」と納得してください。別に中を読むほどのマンガじゃないです、とりあえず今の時点まででは。