報知映画賞の応募葉書を貰ったので応募した。
主演男優賞 濱田岳「みなさん、さようなら」
主演女優賞 広末涼子「桜、ふたたびの加奈子」
助演男優賞 遠藤賢司「中学生円山」
助演女優賞 杏「真夏の方程式」
監督賞 中村義洋「みなさん、さようなら」
新人賞 小泉麻耶「暗闇から手をのばせ」
作品賞(邦画) 横道世之介
作品賞(洋画) シュガーラッシュ
我ながらなかなかいい選出だ。
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特集上映「エドガー・G・ウルマーとゆかいな仲間たち」の1プログラム。
◆『遊星よりの物体X』五つ星評価で【★★★それにしても「X」とはよく付けた。強いぞ僕らの物体X】
あの「ぶしゅしゅしゅしゅしゅしゅぐちゃぐちゃー」の物体Xじゃない古い方のX。
一昔前に観て二回目。
カーペンターもよくああいう改善をやってのけたけど、旧作は旧作でちゃんとSFホラーとしての見せ場が充実している。多分
『エイリアン』のエイリアンが登場するまでは、この「X」がともかく人間が勝利しえない超生命体ランキング1位に位置する化け物なんではないかと思う。最終的に人間は勝つもののまさに辛勝であり、紙一重の差であった。内部的な抗争や、組織があくまで検体としての異星生物を第一義に考えている事など、リメイク作
『遊星からの物体X』より
『エイリアン』に与えた影響の方が下手すると大きいかもしれない。
怪物は植物生命体(紙のように燃える女か!)だが、基礎生命力が人間より強い。
マイナス30℃の寒冷地でも死なずに活動し、体力でも人間を引き裂く。
そして、獣のような外観に反して、極めて理性的に人間を追い込んでいく。
怖い。怖い。
怪物が放射能を浴びていて、近づいてくるとガイガーカウンターの数量が上がるのは、後世の映画にいろいろ引き継がれているらしいのだけど、実態が見えず数値だけ上昇していく気持ち悪さでやっぱり
『エイリアン2』の対物レーダーを思い出したりもしてニヤニヤ。
そう言えば、この旧作の基地にはちゃんとお姉ちゃんもいる。
ええと、リメイク側は野郎ばっかだったよね。
ってか、リメイクもずっと観てないから、もう忘れだしちゃってる。スクリーンで見直したいなあ。
次に「物体X」がもう一回作られるとしたら
『ドキッ 女だらけの遊星からの物体X』になったりはしないだろうけど、
BL要素を持ち込んだりするのはするので勘弁してほしい。
『ドキッ モーリスだらけの遊星からの物体X』。
「モーリス」がもう既に死語か。
原題は
『The Thing From Another World』。直訳すると
『別世界から来た物体』とかか。
『遊星よりの物体X』って邦題はやはり上手いと思う。
◆『忘れられた罪の島』五つ星評価で【★★トピック満載なのにかなり退屈】
原題は
『Monsoon』。じゃ
『忘れられた罪の島』って何なんだよってえと「ナイトクラブ・忘れられた罪の島」なのである。なので、そのナイトクラブに勤める美女がのっけから5、6人出てくる。で、彼女たちが主役かって言うとそうではなく、女将の恋人の潜水夫が主役。その潜水夫に沈没船の金塊を引き上げさせようとナイトクラブで裏切り裏切られの陰謀が繰り広げられる。にもかかわらずタイトルが
『Monsoon』なので、最後はモンスーンがやってきて大スペクタクル・パニック映画になってしまうのだ。なんか詰め込み方がロジャー・コーマンっぽい(ってのは無駄に女がいっぱい出てるからかな)。
ナイトクラブの歌、踊り、うら若き女性の水着満載、
丁々発止の陰謀謀略、
金塊引き上げのための未だかってない水中撮影、
モンスーン大特撮によるスペクタクル。
いろいろ見せ場はある筈なのに読める話とテンポの悪さで、
今、見ると特に驚きもなく、短い時間なのに長かった。
【銭】シネマヴェーラの会員割引で1000円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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遊星よりの物体X@ぴあ映画生活・
忘れられた罪の島@ぴあ映画生活
五つ星評価で【★★★★こんなに緊張感を持って見れる物になってるとは思わなかった】
あの一本筋の通ったオリジナルを向こうに回して
ちゃんと見応えのある作品になってるのが凄い。
やるね。
渡辺謙はオリジナルと互角。
風邪にかかったシーンが分かりづらかったのは、ちょっと残念
(これは演出編集上の問題で渡辺に非はないが)。
他の登場人物はオリジナルから借りて来てるような面もあるが、
渡辺謙だけが西部劇から逸脱して、水飲み百姓にしか見えない点を高く評価する。
柄本明も互角。柄本明も役を自分の物にしている。
とっても出自が悪そうだし、老いぼれだ。
柳樂優弥はまずまず。っつかオリジナルの若者をもう覚えてない。
この柳樂優弥のビジュアルと標的のビジュアルがちょっと似てしまったのは減点。
佐藤浩市はジーン・ハックマンに比べると明らかに劣る。
年も若いし、渡辺謙とタメを張るようには見えない。
役柄が嫌な役だから話は成立するが、役者をキャリアで選んだ感がちょっと強い。
だが、実はあえて見劣りをする配役を選んだのだとしたらしたたかだ。
そして、小池栄子と忽那汐里が素晴らしい。
小池の直線なまなざし。実は一番の許されざる者は彼女だと踏んでいる。
忽那のどうにもならない可愛らしさ。一番許されるべきは彼女だと踏んでいる。
う、うん、あの傷だったら買うよ。俺は病んでるから傷があるなら更に買うよ。
さて、ここから勢いで書いてく。
仮に佐藤浩市が殊更に悪くないとしたら、どうだ。
彼は役人としてやるべき事をやっている。
その為に、彼の土地では銃剣の帯刀は禁止だ。
蝦夷地は日本の延長であり、開拓時代の大西部ではない。
銃や剣で自分の身を守るというメンタリティーは多分ない。
だから、荒くれ者の多い彼の地では銃剣は政府が規制する。
そして、暴力も政府が規制する。
暴力をふるっていいのは政府と政府が許す者のみだ。
だから、暴力を振るうと思われる銃剣を帯びた者は足腰立たなくなるまで打ちのめす。
渡辺謙のように明らかに前科があって怪しい者に関してなら尚更だ。
だが、佐藤浩市は女郎に暴力を振るった男たちを見逃した。
これは、二つの理由があったろう。
その暴力が死に至るものでなかった事。
その暴力が女郎屋の資産に対しての物だったこと。
つまり、彼女たちには人権がない。市民ではないのだ。
ここがイーストウッド版と違う。
イーストウッド版では女郎は個人事業主であり、
彼女の容貌が傷付けられる事は彼女の生活が成り立たなくなる緩慢な死を意味する。
だから、イーストウッド版で相手に復讐して殺す事は大きな間違いではない。
彼女は傷付けられても資産として女郎屋が生活を保障する。
ここで面倒なのはお梶・小池栄子だ。
彼女は女郎を扇動して賞金稼ぎを雇う。
直接、被害を受けた忽那汐里が渡辺謙に「本当に殺すの?」と問いかけているから、
小池栄子がいなければ、この一件は大きな事件にならなかったに違いない。
佐藤浩市はこれに対して異議を挟まない。
佐藤浩市が規制をかけるのはあくまでも直接的な暴力だけだ。
それゆえ、女郎は共謀者や教唆者として拷問に合う事はない。
何故か。
これは暴力の源に対しては鞘を抜かないという事なのではないか。
薩長と幕府の戦いで、裏から教唆したのは、どちらも朝廷だ。
だが、武士「戦う者」は「天子」のための兵隊であるから「天子」には牙を剥かない。
暴力は暴力で抑える。武士はその為の道具だ。
そういう考え方が根底にあるのではないか。
みんなが理念の為に戦った後なので、
金にはあまり力はない。金は金でしかない。
誰かが金をやるから殺せと言っても従わなければ暴力にはならない。
だから、お梶はほっとかれる。
明らかにお梶の主張はおかしいにも関わらず。
彼女は女郎屋の資産が傷付けられたのに激昂し、相手の二人の男を殺せと言う。
「目には目を」ではない。「目には目どころか生首を」くらいの主張だ。
こんな主張に耳を傾ける痴れ者はいてはならない。
だが、荒くれ者の多い蝦夷地にはいてしまう。
という事で、おまわりさんの佐藤浩市は柄本明を捕まえる。
彼は一人殺害してる殺人者である(渡辺謙は痛みを長引かせないよう介錯しただけ)。
暴力を取り締まる為の情報が必要だった。
佐藤浩市が信じればという面はあるが、
実はここまでは渡辺謙はこの件に関して無罪である。
それどころか、佐藤浩市に理不尽に痛めつけられた被害者ですらある。
殺人は、一人目の男は介錯したのみだし、二人目も直接、手を出していない。
それが柄本明との最初の約束通りだから、彼は賞金を貰う事に躊躇はしない。
だが、人殺しその物はしてないのだ。
しかし、彼は柄本明の死を知った時、暴力の行使者となる事を選ぶ。
ここで初めて酒を飲み、昔の生まれ変わる前の彼に戻るのだ。
彼はこの事件で初めて「許されざる者」を選択するのである。
彼は女郎屋を撃ち抜く。
これが最初の暴力だ。
女郎屋は自分が男を殺した訳でもないのに、割に合わない死を与えられる。
彼は小池栄子がヒステリーを起こし、開拓民の殺害を依頼したのと同じように、
渡辺謙の感情のヒステリーで死に至る。
渡辺謙はただ柄本明との関係性の為だけに佐藤浩市を殺す。
そこに、正義はない。
渡辺謙は去り際に「地獄で待ってろ」と柄本明の死体に語りかける。
柄本明は殺人者であるから、地獄にいる。
そして、渡辺謙は自らを殺人者として振る舞う事で
アイヌ人の柳樂優弥の足跡を消そうとしているのだろう。
渡辺謙は生きていようが、死のうがこれからの居場所は地獄だ。
彼の大事なものを守る為にはそれしかないのだ。
彼の宝は地獄を一身に背負った彼が近くにいたのでは守れない物になったのだ。
小池栄子を初めとする女郎たちは、女郎屋の死によって自由になる。
だが、そこは佐藤浩市が秩序を作り、暴力が排除されていた世界ではない。
災厄を呼び起こした彼女たちに対して
残された者たちが行う仕打ちは死より過酷かもしれない。
そして、柳樂優弥と忽那汐里は渡辺謙の代わりに渡辺謙の家に帰る。
柳樂優弥は渡辺謙と同じ罪を背負い、忽那汐里は渡辺謙と同じ傷を受けている。
そして柳樂優弥は渡辺謙の妻と同じアイヌの血を継いでおり、
忽那汐里は妻から渡辺謙に渡された形見を受け継ぎ、
それを彼の子供に受け継がなければいけない。
柳樂優弥は言っていた「俺はあんたみてえになりたくねえ」
多分、渡辺謙が彼に求めるのはその一点なのだ。
【銭】チケット屋で券を750円で買っただ。
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許されざる者@ラムの大通り・
許されざる者@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評・
許されざる者@ノラネコの呑んで観るシネマ<追加>てんぱって書いたものだから結論を書き忘れた。
「許されざる者」とは誰か。
原罪を負う全ての人類とかいうと話がでかくなってしまうから、そうではなく、
いや、えーと、誰にとっての「許されざる者」かという点もあるだろう。
主人公・渡辺謙にとっての「許されざる者」と考えるのが一般的な解釈だろう。もう少もう少し広義で「(社会にとっての)許されざる者」であるなら、
渡辺謙、柄本明、柳樂優弥という人選になる。どちらにも渡辺謙は入っている。
あのストイックな(役柄の)渡辺謙が選ぶ人選に渡辺謙が入ってない筈がない。
だが、ここでやはり小池栄子をあげたいのだ。
それは彼女が無闇な扇動者だからだ。
扇動者として彼女は事件を支配する。
まるで、薩長の影に朝廷が暗躍していたかのように。
そして太平洋戦争の影に戦争こそ進む道と吹聴する世論が暗躍していたかのように。
みたいなことを
『飛べ!ダコタ』と関連付けながら思った。
五つ星評価で【★★★★和太鼓はいいねえ。髻(もとどり)の解釈】
役者としてのさとう珠緒を割と評価してるので、それだけの理由で観に行った。
残念だが、やはり感情を大幅に制限するような役はちょっと似合わない。
さとう珠緒の役者としての真骨頂は自分に近い位置にある役なのだ。
そこでは120%映画空間を制御する。そんな変な女優がいても全然よくて、
彼女には一種異様な異能を活かしてこれからも頑張ってほしい。
ってのが枕。
さて、予定のない舞台挨拶を監督が行ってくれて、それによると、
物凄く評価が高い人と物凄く評価が低い人の両極端なのだと言う。
分からなくはない。
単純な娯楽作品ではないので、話の締め方を納得はしてもスカっとはしない。
一芸的に秀でている部分はあるが、同じように劣っている部分もある。
これがもっとTV寄りの時代劇なら、なんとなく不備も許せてしまうのだろうが、
一つの破綻が全てを壊してしまうような神経質な見方をする人は一事が万事で全崩れしてしまったりするのだろう。
私はそこまで神経質な見方をしないので(鈍いんだな)、
減点箇所はあっても、そんなに全体は気にならずに観れた。けっこう好きだ。
他の人のブログ記事を読んで、減点そうな所を幾つかあげると、
(1) 一部の若侍の演技が下手。これは同感。まあ、ない袖は振れんから、しょうがないだろう。
(2) 殺陣での明らかに槍が的外れな箇所を狙っている。基本的にこれは気づかなかった。ただ、槍は何故、持たされたかと言うと実戦する為ではなく、取り囲んで取り逃がさないようにする為だろう。そして、雪が積もって足場が悪かった。槍のように間合いが長い武具の場合、刀のような接近戦の武具よりしっかりとした足場が必要だ。へっぴり腰では正しく使えない。しかも稽古と違い、相手は動き回り、間合いが測れない。しっかり隊列を組んだり、取り囲んだり、正しい戦闘方法を取れば効果はあったかもしれないが、それはなされなかった。相手を殺傷する事だけが目的なら弓矢が一番効果的だと思われるが、今回は武士が武士に対する面目として切り伏せる必要もあったのだろう。みたいな理由でそんなに神経質にならんでもいいと思う。いや、自分が殺陣に関してそんなに目利きじゃないだけなんだろうけど。
(3) 雪原に血痕がない。これは美学的に中途半端に汚すなら一切、汚さんでもいいと思う。中途半端に汚すと氷いちごチックじゃん。あと刀は2、3人斬ると血脂や刃こぼれで使えなくなるらしい。その為に相手を殺すには袈裟斬りするよりは突いた方が合理的なのだ。後半、追撃者の刀を使ったり、明らかに突きによる殺傷が多くなっていたように見える(欲目か?)。
さて、前半で各人の胸の内やわだかまりを見せながら、
後半、怒涛の如く剣劇になる。
この剣劇直前の各人の「武士道」の立て方が面白い。
城代家老を初めとする追撃側(のうちの真実を知る者)は、
それが不誠実である事を知りながら(しかも藩存続の恩人の息子に対する不誠実だ)、
大の虫を生かす為に小の虫を殺す決断をする。
ここでいう大の虫とは「藩を成立させる頂点=殿様」である。
実はこの考えは幕府が藩に対して行なっている施政と何ら変わらない。
より高い地位の者を満足させる為に、弱い者、身を立てられない者は犠牲にされる。
「蠢動」とは「取るに足らない者がうごめくさま」だそうである。
追いつめられる下級武士は勿論、「蠢動」しているが、
その下級武士を追い詰めようとしている藩その物も「蠢動」しているのだと言える。
そして、追いつめられる下級武士は「これが武士道か」と叫ぶ。
下級武士にとっての「武士道」は「正義」に他ならない。
その「正義」とは「忠義=トップを守る」ではなく「理屈が合う事」である。
そもそもこの両者は噛み合わないのだ。
最後、下級武士は生命の代わりに髻(もとどり)を奪われる。
ここで、幕府の者を欺く為だけなら何人もの犠牲になった追撃側から
生首一つを持っていけばいいと思ったのだが、
唯一生き残った師範代はそうはしなかった。
師範代は下級武士の髻(もとどり)を奪う。
髻(もとどり)は刀同様、武士を武士足らしめる象徴のように言われる物の一つだ。
師範代は下級武士から髻(もとどり)を奪う事で、
彼を正義のない(忠義の為に正義を犠牲にする)武士社会から解放するのだ。
この話がもう少し続くなら、師範代も自分の髻(もとどり)を斬り、
僧籍に入るかもしれない。但し、彼にその自由があるとしての話だが。
「武士道」と「正義」は必ずしも一致しない。
そんな「武士道」が「武士道(忠義)」を危うくする「自由」を認めるとは到底思えない。
残ったのは居汚い生き方でも、ただ強く生き残る事だけを託された下級武士のみである。やはり、この話がもう少し続くのなら、彼は藩や幕府に仇を為す鬼になるのかもしれない。
【銭】ユーロスペースの会員割引で1200円。
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蠢動-しゅんどう-@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
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蠢動-しゅんどう-@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評PS 和太鼓ええわあ。
PS2 前売券の特典が和太鼓のCDなんだそうである。
うわあ、そらあ、欲しかった。
PS3 城内のふすまや畳の色合いが実にそれらしかった。
新しくなさげで、かと言って古すぎず、汚すぎず。
凛とした佇まいである。
◆『ピンクのカーテン2』五つ星評価で【★★★美保純だ】
美保純 主演、
上垣保朗 監督、1982年のロマンポルノ。
多分20年ぶりくらいに見直した。
そうそう、これで原マスミを覚えたのだ。
音楽に原マスミを使っている事がこの映画の味わいをどうにもおかしくさせている。
美保純は可愛いなあ。
美人じゃないし、演技も上手くもないんだけど、ともかく存在感が抜群。
原作のジョージ秋山が描く女の子のボテっとしながら
餅みたいに柔らかい感じそのまんまだ。
そして、野郎は自分のSEXに負けてしまう女の子が絶対的に大好きだ。
SEXに負けながらも、あっけからんとしてる純ちゃんが救い。
あと、顔に童女が入っていて(いわゆるロリ)、
そういう女優はその時にいなかったんじゃないだろうか。
そういう意味で「近親相姦」という題材もタブーだが、
美保純という女優も隠れタブーだったのかもしれない。
◆『絶倫海女 しまり貝』五つ星評価で【★★清里めぐみの田舎者くさいとこが合うなあ】
清里めぐみ 主演。
藤浦敦 監督、1985年のロマンポルノ。
基本、疲れがひどくてガーガー半分くらい寝た。
清里めぐみ可愛い。日焼けした海女が好きって人はいるだろうな。
個人的に海女のあのコスチュームはあまり好きじゃないから興奮はしない。
うん、ナースルックとかセーラー服で潜ってくれんかのう(いやいやいやいや)。
ってより、今週の新橋ロマンの番組タイトルが「海女ちゃん祭り」ってのがうふふふふふ。能念の姉御にもスケスケの白シャツを着て海女さんをやってもらいたいもんであります(いやいやいやいや)。
立川談志がいきなりカメオ出演してた。
◆『人妻痴女ONANIE ノーパン便所』五つ星評価で【★監督も女優もどうもあかん】
鏡麗子 主演、新田栄監督作。
始まって5分の展開の悪さ、映画としてのやる気のなさに安心して熟睡。
悪い意味での職業監督新田栄、ここまでダメに安定してるのは立派かもしれん(1本起きて観ていた記憶がない)。
【銭】新橋ロマン、ネット割引で100円引いて1200円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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ピンクのカーテン2@ぴあ映画生活
五つ星評価で【★★★夏帆ちゃん可愛い。杏ちゃん凛々しい。要君は個人的にはどうでもいいけど普通だからえんでね】
のっけからなんだけど、「要(カナメ)」と「潤(ジュン)」って女の子二人のメンバーでガールズユニット「TSH(タイムスクープハンターズ)」を作って淫靡なセーラー服着せて歌って踊らせたらCDくらい買うぞ。カナメはKAHOちゃん、ジュンはANNEちゃん希望だ。歌詞が終わって最後に二人で口を合わせた決めセリフを叫ぶ。
「恥ずかしいから」
「セーラー服なんか着たくないんだぞ」
ああ、今思い付いたばっかりだからデザインがよく分かんないんだけど、
二人がちゃんと恥ずかしがれるようにTバックセーラー服とかがいいな。
えーと、オープニングのキャスティングロールで、杏ちゃんが「AN」じゃなくって「ANNE」って事が分かった。そうか、本当は「アンネちゃん」なのかと妙な妄想を膨らませるのは間違いで「Eは発音しない」って奴だ。頭が悪い諸君は調子に乗って「杏ちゃんとSXしたい」とか言わないように。俺も言いたいけど我慢するから。
という訳で、NHKでやってたオリジナル番組は未鑑賞。
「タイムスクープハンター」初体験である。
やさしくしてね、杏ちゃん。
いやいやいやいや、竹山に優しくされても・・・って微妙な下ネタで繋ぎながら、
タイムスリップ物としては、何かズボラってか、雑だな。
遺失物茶器を新しく出来た未来から回収って、クーラーのリモコンを未来から回収する
『サマータイムマシーン・ブルース』かよ。あれ、劇場公開時にリモコン割引ってあったから、これも茶器割引、いや、加藤茶割引があってもいいな。妻になって加藤茶を連れて行ったら映画が1000円で見れる。
もとい、茶器、経年してるから古びるとかないのか?
こういうのをルーズにやるなら「時間の修正機能が効くから大丈夫」とか
誤魔化しセリフの一つも入れておけばいいのに。
あと犯人照合にあんなに時間がかかるのはやる気がないとしか思えない。
というか、使用してる銃にシリアルナンバーくらい入れておくべきだろう。
発砲回数を調査、記録と照合しないなんて管理としてルーズすぎる。
そういう基本設定の矛盾をボンボン無視するなら、そこそこ面白かった。
総合的に、ドラマ部分より、スコープ画面の変なデザインとか、夏帆ちゃん、杏ちゃんが可愛かったり凛々しかったりとか、戦国時代の衣装・背景設定がそれっぽかったりとか、小道具関係が楽しかったりする。
夏帆ちゃんかーいーなあ。
セーラー服まだ全然着れるなあ。
あのセーラー服の下に巨乳とか思うとたまらん。
しかし、有名な事件を追うにせよ、名もなき人を追うにせよ、最後に考え方がどう変わったか、変わらないかを表明させないと作りから言っていかんだろ。
杏ちゃんりりしいなあ。最後に現場に出てきた時のスーツ姿で
胸が青年のように平だったのがちょっとショックだった。
そこはちょっと盛ってもいいんじゃない。
本社でちょっとだけ映る美脚かっけー。脚の人なのだよね。
カンニング竹山は脱がないから良かった。
最近、やっと映画で脱がなくなったような気がする。
上島竜平のあの小物感は貴重だと思う。
あんなに出てきた途端、一目で「小物」が分かる芸能人ってなかなかいない。
何よりも怖いのが、
戦国時代の武将より、戦時のモンペ女子、1980年代の不良の方が危険ってのが
そこそこ説得力持ってるのが凄い。
まあ、普通、夏帆ちゃんが人買いに買われた時点で味見くらいされるよな。
そこを省略しちゃうのはいかがなもんかな。
【銭】シネマートのメンバーズポイント10ポイントを使って無料入場。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
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劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評・
劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日@ここなつ映画レビュー・
劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日@はらやんの映画徒然草・
劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日@だらだら無気力ブログ・
劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日@大江戸時夫の東京温度PS そうそう、私、基本的に眼鏡をかけている女の子に対して、
眼鏡をかけているから萌えるという事はないんですが、
夏帆ちゃんが眼鏡をかけた瞬間、
どうしようもなく針がどストライクに振り切りましたね。
目の丸さが強調されて可愛かったです。
PS2 コスプレタイムスクープハンター
カンニング竹山:ブリーフ一丁
上島竜平:ブリーフ一丁
杏:
『プラチナデータ』の性悪女スタイル
夏帆:
『任侠ヘルパー』のキャバ嬢ルック
要潤:仮面ライダーG3着装
時任三郎:牛若丸三郎太(FROMリゲイン)
嶋田久作:
『帝都物語』加藤保憲
宇津井健:スーパー・ジャイアンツ
PS3 勿論、眼鏡をかけた夏帆ちゃんともSXしたいです。
五つ星評価で【★★★「いい話」感が映画っぽさを損なう】
まず「戦争」をかなり分析した脚本に敬意を表したい。
それは脚本の隅々にいいセリフとして残っている。
残念なのはそれが映画内で「衝突」の形で描かれなかった事だ。
なので「いい話だったけど綺麗事感」が強くなってしまった。
どうもこの「いい話感」が強くなり過ぎると、TVのいい話系に近くなってしまう。
そういうの映画好きは嫌うので妙に評判が回って来てない気がする。
そんなに見られてないだけか?
戦争がよくない事は一般論として誰でも知っている。
ただ。知識と感情は別で、その戦争が終わった直後に、
敵兵が訪ねてきたら握手が出来るのか。
映画内では近親者を亡くした者も多く、それぞれが葛藤するが、
日本人とイギリス人との間で大きな争いはない。
現実、そこはなかったのかもしれないが、
大きな諍いが見られない事に作為を感じてしまう。
ただ、映画の中と同じく通訳が一人しかいない状況では
実務を中心として粛々と働き、衝突など起きている余裕などなかったのかもしれない。
まあ、殊更に悲劇を要求するのも間違っているだろう。
さて、戦争についてだが、
イギリスの軍機を佐渡から飛びだたせるために滑走路作りを行い、
すっかりイギリス人と仲良くなったおばちゃんが戦争に対して
「戦争を起こしたのは軍部の偉い人に騙されたからだろう」と言う。
「いや、あの戦争はわしらが起こしたんだ」村長がすかさず答える。
「また、難しいこと言って、村長の話はわかんねえ」すぐかわされる。
特にここを評価する。
戦後の戦争映画では悪者は軍部だ。
軍部を悪者にするのは大変、都合がいい。
基本、戦争の為に存在する集団が戦争したがってるという考えは
ストレートで受け入れやすい。
だが、最近の映画では民衆が戦争を希求していたとする説がかなり有力だ。
日本国はあまり戦争に適していない。
戦争を継続して続行せしめるだけの資源が国内にないのだ。
なので、現地調達しながらみたいな、無茶な戦争になる。
食料くらいはそれでどうにかなっても武器や資源などはそう簡単にはいかない。
だから、確実に短期で美味しい目を見れる戦争しか日本は手出ししない方がいい。
ヒット・アンド・アウェイで一発ぶっ叩いて、逃げて和平が日本の求める戦争だ。
いくら何でも兵站に無理がある事を軍部が把握してない訳はないだろう。
すると、やめられない状態が外堀を埋めて作られた。
国民世論やマスコミが空気を作った。
だから、軍部に騙された訳ではなく、国民が軍部を追い込んだのだ。
そして、国民にはその罪の意識がない。
日本は怖い国だ。
戦争があったら、又、国を挙げて戦争に取り組むに違いない。
だって、過去の反省が活かされず、今でも煽るマスコミは健在のままで、
話題が戦争ではないが、未だに正しくない煽り方をする癖は治っていないのだから。
比嘉愛未ちゃんはめんこい。
しかし、こんなにセクシーさが一片もない小学生みたいなめんこさでいいんだろうか?
洞口依子すっかりおばさんだなあ。
柄本明とベンガルと髭の綾田と東京乾電池が3人。
蛍雪次朗がいなかったら綾田の配役は校長先生だろうなあ。
ガテン系頑固おやじベンガルは美味しい役。
脚本に友松直之が入ってるのに、血を一滴も流さずによう耐えた。
【銭】チケット屋で前売券を300円で購入。底値で200円を確認。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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飛べ!ダコタ@ぴあ映画生活
五つ星評価で【★★★★普通の人が巻き込まれる理由のない災厄と、それに対する姿勢それぞれ】
北朝鮮に住んでいる兄が25年ぶりに病気療養の為に日本に帰ることが許される。
広がる家族や知人への波紋、動揺。
なんて魅力的なキャスティングだろう。
誰もが説得力があり、誰もが映画の中で生きている。
兄はたどたどしい足取りで少しずつ日本を思い出すが、北朝鮮に残してきた妻や息子を人質に取られ、自己を犠牲にしてでも、耐え抜こうとしている。彼にとっては日本人としての彼を思い出してしまう事が自分や自分の家族を守る上でのハイリスクになりかねない。冷静に耐える男を井浦新が演じる。井浦新はいい意味で華がない。戦前の軍人役などがとてもよく似合う。何もないところで生きてきた男の原木っぽい硬い感じがよく出てる。
そのいかにも日本人である妹に安藤サクラ、彼女は国としての日本同様、朝鮮にも脅威を感じていない。だから、敵として楯突く事が出来る。まだ、自分自身が戦いのルールを定めれば相手がそれに従うという正攻法を信じている。
失礼ながら、安藤サクラは不美人だ。でも、ゆるーく兄貴を守ってやろうと自然に振る舞う感じと、ゆるーい笑顔がとても可愛い。
兄を理想郷と信じた朝鮮に送り出してしまった父に津嘉山正種。
凄い。地位のある在日朝鮮人にしか見えない。
朝鮮への信頼は自分への支えとして持っているが、
日本に長く暮らしているので立ち振る舞いが雑な感じだ。
母に宮崎美子。こんな演技ができる人だったんだと脱帽。
全身母。優しさも強さも。
朝鮮からの理不尽な対応に出くわした時、最善策を模索し、
誰よりも冷静で現実的な対処をする、母だ、実に母だ。
朝鮮や日本がどうであるかより、まず息子を考える。出来うることを考える。
宮崎美子の最近はもう本当に「母女優」なのだけど、
普通の家庭の「お母さん」を演じる事が多いので、
こんなに感情的な演技を見たのは初めてかもしれない。とてもいい表情だった。
叔父に僕らの諏訪太朗。
いつも通りの諏訪太朗だが、演技の上で歴戦の強者に負けてないのが嬉しい。
諏訪太朗が出てくると、どうにも血まみれで死ぬ気がするけど、そんな事もなかった。
叔父はむちゃくちゃスノップ。
生活態度から兄弟である津嘉山正種とは疎遠だが、
それでも集まると自然、家族になる。
朝鮮の血を持ちながらも、逆に持ってるがゆえに反発してなのか、完全に日本人。
兄の昔の恋人に京野ことみ。
ちくしょー、相変わらず可愛いなあ。
笑いながらふと言ってしまう「一緒に逃げようか」の基盤のない表面っぽさが、
実に日本人的だと思う。
彼と彼女だけを切り離して考えられる日本人と、
二つの国の家族全てを一緒に考えなければならない彼(皮肉な事に社会主義的だ)。
実現性は別として、京野ことみのあの一言は彼には嬉しいに違いない。
その言葉を彼は墓場で胸に噛みしめて眠るだろう、それは一つの福音なのだと思う。
兄の監視者役にヤン・イクチュン。
コメディーの線が強い『中学生円山』と比べるのは違うのだろうけど、
『息もできない』の粗暴な韓国人とも全く違う、静かな朝鮮人を演じている。
映画の中で、もっとも朝鮮の意向を体現する役でありながら、
彼自身も家族を人質に取られ、やらざるを得ないからやっている。
実に孤独だ。
同じ境遇にいる「兄」は彼を理解しているが、交流はないし、できない。
韓国映画での強い感情を削ぎ落して朝鮮人になった感じ。
衣装が素晴らしかった。
「衣装:宮本まさ江」がエンドロールに出ると
「ああ、やはりそうか」みたいに激しく納得をする。いい仕事をするのだ。
帰って来た兄の服はとても質素でシンプル。
妹の服もシンプルだが、それは豪華な服を削ぎ落としたデザインシンプルの服だ。
帰っていく兄の服は当たり前なデザインの立派なスーツ。
この選択が宮崎美子の母が選んだっぽい。
誰が何を考えているか不明のまま決定だけ下され、
その決定に対して全て従わなければならない。
見る事さえも適わぬ殿様が下した下知みたいだ。
それが物語だからではなく、現実に即しているというのは
本当に隣国として気持ち悪い。
【銭】ギンレイホール会員証で入場。
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かぞくのくに@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評・
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かぞくのくに@映画的・絵画的・音楽的PS 「かぞくのくにえ」
井浦新として朝鮮に帰国した兄が田中邦衛として戻って来る。号泣必至。
五つ星評価で【★★悪ふざけはミッションを済ませてからだ】
悪ふざけが過ぎる。
いや、別に悪ふざけはいい。
悪ふざけはどっちかって言うと好きだ。
でも、ダメを出しているのは悪ふざけが、映画そもそもの目的である
主演女優・日南響子ちゃんを輝かせることをそっちのけにして、
醜く豚の悲鳴のように際限なく鳴り響いているからだ。
この映画で日南響子ちゃんは脱ぐ訳ではない。ビーチクさえも映らない。
でも、山のように濡れ場がある。
今までアイドルとして売っていた少女が
この映画を撮る事にはそこにそれなりの覚悟が必要になる筈だ。
そんな映画だ。
大人がそういうのを組んでやれよ。
大人はそういうのを忘れてお金が入ったから馬鹿騒ぎしようぜって、
変な遊びを優先させちゃいけないよ。
本人の資質の問題だってあるかもしれないけど、
主役の日南響子ちゃんが輝いていないよ。
いや、外見はそこそこだけど、それ以上が見えない。
それ以上は相手が素人なら、プロが引き出すしかないだろ。
昨今のあまりいい女優を使えない資金力のない成人映画の底力を見習ってほしい。
変に脚本に乱れた筋が多いし、キャラも多い。
キャラはそれぞれが中途半端で、人数が多いだけに混雑の元、
セクシー女優なんて、ちゃんと撮るなら色物除いて二人もいれば充分。
カサに頼って、カサが低レベルを露見させている。
そして、日南響子が惚れる盗人の青木崇高がとてもかっこ悪い。
ええと、俺はあれはかっこ悪いと思うよ、顔むくんでるし。
黒ずくめで、何か洗濯失敗して縮まったみたいな服だし。
いや、かっこ悪いならかっこ悪いで構わない。
何か一つ惚れる要素を作ってやればいいんであって。
そこが何もないから主人公への信頼感が減じてしまう。
この世の物と思えないSEXに惚れたなら惚れたでいい。
観客にそれを分からせないといかん。
それをちゃんとやらんと、桜姫は最初から最後まで只の頭の悪い家出娘にすぎない。
【銭】テアトル系の水曜1000円均一サービス。
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桜姫@ぴあ映画生活PS チラシやポスターの日南響子ちゃんを撮ったカメラマンだけを許す。
ついでに、でんでんも許す。そんぐらいだな。
五つ星評価で【★竹内力怪演の度が過ぎる】
竹内力が16歳の老け顔の高校生で番長役。それは観ないと!
ガビーン、出落ちかよ。そんな映画。
宮坂武志監督は前見た怪談オムニバスの一編がよかったから期待したんだけどね。
竹内力がやりすぎだ。
映画観てると竹中直人のやり過ぎ事故を度々目撃するけど、単品としてはあれ以上。演技がうるさいのに、必然性がなくて、全体から浮いている。なんで、あんな始終ゾンビみたいな演技なんだ。よく言って「犬っちゃ犬っぽい」かもしれんが、竹内力が糸を引きながら納豆を食ってるカットで、女子中学生が「可愛い ♥ 」とは言わんだろ。
竹内力、年とって贅肉増えて丸くなった。
それで、ずっとニヤニヤしてる表情は、船越英一郎に似て、全く怖くない。
あと、手持ちカメラのブレがひどすぎる。
手ブレで効果を出そうとするな。
そんなん深作欣二くらいの手腕がないと手持ちカメラで臨場効果なんて出ないぞ。
理屈を分かってやってなくって、感覚的に揺さぶってるだけだろ。
モニターの揺れとスクリーンの揺れの違いが分からん奴は揺さぶっちゃいかん。
(っっかビデオ販売主流の映画だからモニター基準でいいんかもしれん。ああ腹立つ)
竹内力とヤクザの交流
竹内力とオペラを歌う彼女との淡い恋、
竹内力と陰謀坊主のど突き合い
と大きく3パートに分かれるが、
何かそれぞれのウェイトが等しすぎて、どこも深くない。
ヒロミくん(竹内力)のできた妹を演じた栞菜ちゃんは素直な感じで可愛い。
しかし、この芸名を何と読むのかが分からない。
【銭】テアトル系劇場で水曜1000円。
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バトル・オブ・ヒロミくん!~The High School SAMURAI BOY~@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
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バトル・オブ・ヒロミくん!@ダイターン・クラッシュPS8 奴隷のような仕事と体調不良(2週間以上風邪治ず)で、
10月5日以来、映画を観てなくて、昨日の22日に久しぶりに
『エリジウム』 観て、久しぶりだったからかムチャクチャ面白く感じたのだけれど、
別に久しぶりだったからというだけで、何でも面白くはならない、
それをこの映画が証明してくれました。
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