五つ星評価で【★★★これも素晴らしい事は重々承知】
いい映画だ。
そして、ちょっとあざとい。
世の中のほとんどの誰もが親ってうざったいという「麦子さんと」の時期を通り越した末に、今を生きているに違いないと確証しながら、そこにちゃんと乗っかってる。
なんか安泰に胡坐かいてるなあ。
でもね、
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』同様、
軽ーく、もっと行儀の悪い展開を期待していたのだ。
う、ううーん。堀北真希主演だから、そっち側に作ることに無理があるよなあ。
麻生祐未の趣味の下りだけはそっち側で吉田恵輔だった(あれ不要な展開だもの)。
という訳で、どんな間柄でも相互理解が必要ですという、普通にいい話の映画です。
堀北真希はそんなに饒舌なイメージがないので、
アニメファンで声優希望と言う、何だかいたたまれないキャラが妙に似合ってる。
母親との接し方が分からず、強くばかり当たってしまうのも、生真面目なイメージの裏返しで実に「らしい」。あと、服がそんなにハイセンスじゃないなのに、彼女なりの一定のルールがあるのが良い。
余さんは大人。そして温水洋一も今回珍しく大人の役どころだ。
松田龍平と堀北真希の絡みそうで空回りするみたいな兄妹関係がリアル。
頼りにされるけど鬱陶しく、影で相当いい加減な松田龍平のキャラは堀北真希が基本、真面目な直線キャラだから凄く活きる。
宣伝で強く推してる松田聖子の「赤いスイートピー」は自分的にはどうでもいい曲なんだけど、あれ、そんなにプッシュ必要か?
これをステップアップとして、真面目な堀北が、吉田恵輔の地雷的感性に翻弄されてハラホロヒレハレな感じの方向に進んだ映画をもう一本撮ってくれないかなあ。
【銭】売買不可って書いてあった試写状を600円でチケット屋で購入。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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麦子さんと@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
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麦子さんと@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評PS 興行は12月21日からで、一週間で打ち切りはないから、
バリバリの正月映画なんだけど、地味な佳作は正月映画らしくない。
本来、正月第二段みたいな作品だよなあ。
正月映画として公開するなら、
麦子の兄を寅さんに見立てて……他に家族がいないんだよ、あの家。
いや、単純に火薬の量を増やしてサスペンスにするか。
亡くなった埋葬許可証の謎。いつも背後に現れる謎のタクシー運転手。
なんにせよ爆発せえへん!
温水洋一の頭が常に爆発してるとか言う設定でも付けるか(何言うとんねん、俺)
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五つ星評価で【★何をすれば良かったのかを考える】
原作マンガ未読。
チラシの女の子二人(石橋杏奈・竹富聖花)が可愛かったから観に行った。
女の子は可愛かった。
でも、話に埋没できなかった。
これは多分三つ。
①主人公の境遇がはっきりしない(どんな理由で転校してきたか等不明瞭)。
②主人公の感情がはっきりしない
人に対する態度に一貫性がなかったり、
ずっと無言だったり。無言は無言の真意が分からない。
③主人公に対峙する同級生男、同級生女、謎の女、
これらが主人公に求める物が分からない。
特に謎の女と主人公には因縁があるのか、ないのかが分からない。
人に話を理解してもらうというのは難しいものだ。
【銭】テアトル会員割引で1300円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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ゆめのかよいじ@ぴあ映画生活
五つ星評価で【★★これはあの組み合わせじゃないか】
アンディ・ラウが盲目の探偵を演じる、どちらかというとコメディー寄りの一本。
アンディ・ラウってかっこいいし、アンディ・ラウが映画に出ると
それだけで映画のクオリティが一つ上がる。
とはいうものの、関係してる映画が多いので、
時たま何でこんなのをという怪作も作ってしまう。
今回はそっち系。監督がジョニー・トー。
ジョニー・トーと言えば香港ノワールの第一人者で、
どこに出してもおかしくない一流の監督なのであるが、
アンディ・ラウと組み合わせで、
何でそうしたのかよく分からない筋肉ムキムキ主人公が活躍する
『マッスル・モンク』とかを撮ってたりしている。
もう、真面目にやろうって気概が見られない。
アンディ・ラウかっこいいんだけど演技が変だ。
確かに盲人の仕草だけどオーバーアクションすぎる。
そして探偵の推理はひたすら妄想すること。
う、裏付けも何も取らないんかい。
130分もある。
ってか、これ、ちゃんとやれるならちゃんと作ってほしかったな。
【銭】新聞屋系の招待券もろうた。
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名探偵ゴッド・アイ@ぴあ映画生活
五つ星評価で【★★★★おそらくイビツな映画】
ラストについてのネタバレがあります。原作未読。
これには泣かされる。
でも、私はひねくれ者だから、
映画としては変な作りじゃないかって異は唱えておきたい。
普通の物語から考えると、かなり特異な構造だ。
物語の主人公について全て伝聞で語られるが、
語られる主人公についての証言は主に「彼が臆病か否か」
それのみに尽きるのである。
どんな人間でも多面的な側面を持つが、この映画ではキッパリ
一面だけを切り口にして他を落としてしまっている。
そして、その反証である「臆病でない人間」についても、
その「臆病でない人間」が「どう臆病でないか」を語る事を秘かに避けている。
「臆病でない」が故に、国の政策に統制され、
反抗せずにその政策を呑みこんだ者の死に様は映されるが、
どう呑み込み、乗り越えて死を納得したかについては描写されない。
今まで特攻に付いて描いてきた映画は全てこれを題材にしてきたから、
逆に今回は一切盛り込まない事でバランスを取ったのかもしれない。
だから、これは描写されるべき長大な全貌から
一つの視点だけを元に、一人の男の名誉回復を試みたダイジェスト戦記である。
そのダイジェストの中で描かれる主人公の生き様は完全ではないが美しい。
だが、だからと言って、そこで描かれなかった
彼が死を見守った教え子達、戦友達の人生が決して
描くに値しない人生でないという事も忘れてはならない。
多分、私は呑みこまれて自ら殺されていく大衆側だろうから、
彼等の存在を完全に否定されてしまうのは、ちょっと抵抗があるのだ。
という訳で、物語はいい場面をザクザク切り出している。
そこを演じる役者がみんないい演技をしているから、
切り出されたものである事すら忘れて納得いってしまう。感動してしまう。
物凄く強調された歌舞伎の見栄みたいなのを現代劇で見せられているかのような状況だ。それが、高齢のどしっとした役者さんの演技の説得力に置き換えてやられるのである。うん、まあ、大衆的な娯楽としてこういう強さは肯定していいと思う。
特に田中泯。
今まで映画に出てくる田中泯を見て悪かった記憶は一切ないのだが、
この映画ではもう、こういう人間がいて、こういう感情を目の前で高ぶらせている、
その現場に立ち会わされてる、としか思えない至高の演技だった。
紅白で放送禁止歌になっていた
『ヨイトマケのうた』を
朗々と歌った美輪明弘を思い出した。芸って凄いな、怖いな。
『47RONIN』も
『47田中泯』だったら、最高の映画だったかもしれないなあ。
次にその田中泯の若き頃を演じた新井浩文の愚連隊ぶりがいい。
今、こういう生まれながらの粗暴粗雑な人間を演じ切れる役者は少ないと思う。
粗暴粗雑だが極めて有能。
特攻には反対だが、自分の命の優先順位が一番とは思っていない。
主人公に社会との折り合いをもうちょっと持たせたタイプ。
そもそも、この主人公は戦線で戦闘放棄に近いことをやるなら
「死ぬから戦場には行かない」と言って思想犯として逮捕される方が
彼の合理性の中では正しくないか?
まあ、戦中事情もはっきり知らないから断言はできないが。
あと、当然、主役の岡田准一はいい。
彼がよくないと立派な大笑い屑映画になってしまう。
最近、ジャニーズが主役の映画で役不足なタレントを何本か見てきたが、
彼はもう完全に役者として生活できる力を持っている。
彼がラストシーンで笑う。
何だか、不可能事を反転させた明朗快活な笑いではなく、
卑屈な笑いだった。
この卑屈な笑いが好きだ。
生き残るために積極的に戦いに加わらず、
技量があるにもかかわらず、同僚の死をも見逃すような戦闘機乗りだった彼が、
終戦直前には、特攻機を守り、確実に同僚に死を与える役回りになる。
この罪の意識に彼は耐えられない。
彼は自分が戦地から帰りたい為に、
彼以外の「戦地から帰りたくても、それを口にもできない同僚の」命を刈り取る役目に回ったのだ。つまり、彼は毎日、彼の分身を殺す役割を担ってしまった。多くの彼の妻や子供を泣かすような立場にいる彼が、戦争から戻って、彼の妻と、彼の子供にだけ会っていいのか。葛藤が続く中、彼は自分も刈られる側になることを志願する。
彼の戦闘機を助けた教え子が戻り、同じ特攻作戦に参加する。
そして、その時、彼の自機が調整不良だったことは偶然だろう。
彼は調整不良の(助かる可能性の高い)機体を教え子に差し出す。
機体を取り換え、その機体にその場で書いた手紙を隠した時点で、
彼は生還を断念している。
自分の血塗られた腕で彼の妻と子供に対峙することが怖かったのではないか。
彼が代わりに差し出したのは、捨て身で味方を助けた男、
戦争が終わったら、人の役に立つ仕事をしたいという男
絶好の代役だ。
そして、特攻。
高い操縦技術で空母まで途中撃破されず近寄る。
もっと早くこの技術を使っていれば、散らずに済む命もあったかもしれない。
特攻によって、他の命を犠牲にして永らえた彼の命は失われる。
最後に一人だけ、無垢な人間を生かして。
だが、それでも生きたい。
どんな蔑まれた境遇にいても、生きて家族に会いたい。
作戦に成功しながら、自分を憐れむ。
そういう笑みに見えた
(というか、ゆっくり考えてそんな笑みなのではないかと思った)。
そして、この力のない笑みは、
ずっと自分の信条を曲げずに理屈で生きてきた「宮部久三」という男の
死の直前での、誰に充てるでもなく出た、唯一の感情吐露であったように見えた。
だから、泣けた。
徐々に岡田准一に似てくる孫の三浦春馬も頑張った。
さて、みんな誉めてるけど、サザンの曲は薄っぺらくて嫌い。
メロディーの感じが他のサザンの曲とあまり変わらないので(
『TSUNAMI』に似てる)、
「ナンパしてキスして愛してる」みたいな曲っぽく耳が錯覚してしまう。
【銭】バルト9の平日昼マチネー割引で1200円。
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永遠の0@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBだけ付けさせて貰ってます。お世話様です。うん、今回はコメントはやめた。コメント付けてるといつまでも公開でけんわ。処々の事情により「流浪の狂人ブログ」さんにだけ連絡のためのコメントを付けた。
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永遠の0@yukarinの映画鑑賞ぷらす日記・
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永遠の0@ノルウェー暮らし・イン原宿・
永遠の0@ペパーミントの魔術師・
永遠の0@カノンな日々・
永遠の0@流浪の狂人ブログPS 演歌歌手のジェロが最初っから最後まで
永遠のように歌い続ける映画じゃないのか!
最終巻。
発刊を知らずに買い逃して、1年半ばかしずっと買い逃していた。
どんな巨大な本屋に行っても、全3巻のギャグマンガの最終巻で、発刊時に買い逃してしまったマンガは置いてなかった。恐ろしい事にマンガ専門店ですらそうだ。つまり、現在公開されている映画が一度機会を逃すと映画館でかからずに劇場で見れなくなるのと同様、発行点数が多すぎて、終わってしまったマンガについて、その場所に置いておくだけの不動産的な余力がないから、GETするタイミングは1チャンスだけなのだ。
こええ。
これはこええ。
それはアマゾンに負けるよ。
だって、作家の旧作を読もうとしても、現物が書店にないんだもの。
書店にない現物は存在しないと同様。
こういう時、割を食うのは多分、巻数の少ないマンガ、かつ、ギャグマンガ。
ギャグは基本、巻数が少ないし、密度が濃いので1巻辺りの満足度が高い。
次から次へと次の巻を買う連鎖購入が起りづらいのだ。うん、嫌な事だが理に適ってる。それとは逆に旧作でもストーリーマンガは置いてあって、それが巻数が多いので
新旧合わせて書店面積の全体を圧迫しているのかもしれない。きっとしょうがないのだろう。今まで、こんなに述べ巻数の多い事態を書店が迎える事はなかったに違いない。
前置きが長くなった。
というか、前置きの方が書きたかった事だった。
結局、できれば普通の書店で買いたかったのだが、ブックオフで見かけたので購入した。ブックオフでだって見かける事はチャンスの問題でなかなかない。とりあえず読みたかったのだ。あとマンガ喫茶に行くという選択肢もあったけど、最終的には手に入れて何回も読み直したかった、購入を第一に考えていたので、マンガ喫茶で探す事は頭に浮かびさえしなかった。ライブラリ的側面がマンガ喫茶にはある。ただ、やはり、場所の問題があるので、メジャータイトルじゃない物から整理されていくに違いない。きっとこの辺は稼働率でシビアに判断されるだろう。
そして、マンガ『カバディ7』がどうだったか。
最高だった。
ギャグマンガだけど、魂が熱いマンガなのだ。でも、入手の機会は少ないし、みんな、その熱さを知らない。
何が情報化社会だ。
効果やアップのカットが増えたり、
色々な試行錯誤を試していたりで、作画担当の苦悩が偲ばれる。
なんだけど、この回はアクション回なので、話がまたまた薄いままだ。
物凄い読み飛ばし速度で読み終わってしまって、
話が遅々として進んでいないと、まだまだ道のりは長そうだとちょっと眩暈する感じ。
貞子もついに20巻かあ。
キャラが確立しているので、
一生、死ぬまで書き続ける事も出来そうなもんだが、
区切りとしては貞子が先生になる為に大学に入学するところで
「〆る」んじゃないだろうか?
風早が乗り越えるべき存在として、
風早の父親が「理不尽」な壁のように現れる。
これはどこかで似た構図を見たな、と思ったがそれは『銀の匙』の主人公の父親だ。
『銀の匙』の父親の方が、圧倒的に主人公とコミュニケーションを断絶している。いわば、強固な壁であるのは、少年マンガと少女マンガの違いかもしれない。
いっそ男性作者と女性作者の違いかもしれないと書きたいところだが、『銀の匙』の荒川弘は女性なんだそうである。普通に考えて椎名軽穂は女性だから作者の性差を違いの根拠には出来ない。
風早の父ちゃんは押し売りっぽい丸っこいデザインで、『銀の匙』側はドラゴンスレイヤーを思わせる長身でガタイのいい体躯である。どっちだって嫌ではあるが、まだ、押し売りの方が懐柔はしやすそうだ。
うおおおおおおう、新しいの出とった。
はよ、次よみたい。
合宿の模擬仕合。マンガ的に気持ちいいくらいの解説が入るのが良い。
そして、なんて話の盛り上げ(持って行き方)が上手いんだ。
相変わらずキャラの書き分けは下手だ。
考えれば見分けは付く。でも、マンガのキャラの見分けを考えさせてはいけない。
五つ星評価で【★★42分しかないのに寝てしまった】
睡眠に負けまくり。
体力って大事。
冒頭、リンゴをもいでる工藤夕貴とか
唐突に馬を買ってしまう永瀬正敏は問題ないが、
後半、りん子が、その馬に乗って、体育の授業にいきなり現われ、
馬を履き捨てて、体育の授業に参加するも、
体育も馬も捨ててどこかに走って逃げてしまう。
これが思い出す最後のシーン。
この後、壊れかけた家族が崩壊するのか、再生するのかがよう分からん。
だけど、まあ、あかんのは、
「じゃあもう一回見てみっか」という気が起こらない事である。
しかし、現役な若者の「リンゴ娘、とき」より、
工藤夕貴の方がちっちゃくて可愛いなあ。
長瀬正敏もいい感じのダメオヤジ感。ホモじゃないから惚れないけどね。
【銭】鑑賞料金正規に1000円。
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りんごのうかの少女@ぴあ映画生活
五つ星評価で【★★★ビックリするよなあっけなさ】
相撲に「猫だまし」という技がある。
開戦一番目の前で大きな音を立てて拍手、
相手があっけにとられてるうちに次の技を仕掛けて勝つ。
『モラトリアムたま子』は猫だましが成功したのに
勢いあまって足を滑らせてぶっ倒れちゃったみたいな映画だ。
いや、つまんなくはないのだ。
でも、とっても「あっけない感」が強いのである。
希薄に薄ーく話はないようなのにちゃんとあり、
オチもその薄い話のど真ん中に乗ってるので、
実に「映画」として、ちゃんと成立してるのではあるが、
ふっと気を抜いた途端に終わってしまう。
きゃはは、春風のイタズラかしら、みたいな。
その中で前田敦子がやってる事は
・観客に尻を向けてブヒブヒな感じで寝る。
・食う
・マンガを読む。
こんなん。
こんなんなんだけど、観客は不思議と前田敦子を嫌いになれない。
うんまあ、子供なんだな。しょうがないな。優しい目線になれる。
という事で筋が通ってるシナリオ的な部分を抜かすと「前田敦子の観察日記」になる。
話にいきなり闖入してくる富田靖子のちゃんとしてるオーラが
虫みたいな「たま子」には眩しくて、
冷静に自分と親虫のダメ出しを始めてしまう。
全体ではここが一番可愛かったな。
ダメ出しをする中で、自分を追い込みながらも、
「たま子」は母親のような存在に甘えたくてたまらないのだ。
かまってもらいたいのだ。
でも、やっぱり薄すぎる。【銭】武蔵野の株券1回分を800円でレンタルして使う。
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もらとりあむタマ子@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
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もらとりあむタマ子@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評・
もらとりあむタマ子@ダイターンクラッシュ・
もらとりあむタマ子@ノラネコの呑んで観るシネマ