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ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『父は家元』をテアトル新宿で観て、これを面白いと思った理由とはふじき★★★★

五つ星評価で【★★★★茶の湯の深さ、そして深いゆえの問題点】
  
茶の湯など全く分からない。知らない。完全に素人である。
なので、これを面白いと思ったという事は、
茶の湯をかなりちゃんと正しく説明された、ということだろう。

茶の湯は五感を使って感じる総合芸術。

お茶と言う飲み物を味わう(味覚)
お茶の香りを楽しむ(嗅覚)
お茶お点前時の静寂を楽しむ(聴覚)
お茶お点前時の空間を楽しむ(視覚、触覚)

お茶を味わう空間(茶室)にて、お客に最高のもてなしをする。

その為に、極限まで作法は磨かれ(黒魔術の魔法陣錬成を思わせる)、
茶道具は技量とともに哲学を封じ込められながら進化し、
茶器はそのために新たに焼かれ、
茶器に縁起を作る事でドラマを作り(ある意味プロレスみたいだ)
料理、和菓子は茶を中心として進化し、
掛け軸、生け花に至るまで、空間に贅を尽くすため徹底的に選ばれ、
理想の為には茶室その物まで建築する。

言わば「茶」を中心とした世界全てを構築して客をもてなそうという試みだ。
そして家元はその全てを指導する。決定する。
何たるエンサイクロペティア。
これを実現し、劣化せず、一定に保つ事は、狂気じみた大変さがあるに違いない。
そうした物を隠しつつ、行われる儀式は荘厳だ。荘厳である事は面白い。

だが、逆に「荘厳である事」が滑稽にも思える。

だって、「茶」である。
飲む「お茶」である。
みな「結構です」とは言っても「んめー」とは言わない。
常識などに捕らわれず「んめー」と言える物を出されるのが
一番いいもてなしではないだろうか。
「お茶」しかなかった時代なら別だろうが、
例えば、夏場に「コーラ」。

それでは「茶の湯」ではない?
いや「茶の湯」かどうかより、客の方が大事なのではないか?

あと「畳」に限界を感じる。
みんな「畳」に正座、胡坐をかくのに結構きつい思いをしている。
椅子じゃダメ?
現にビルの中に建てられた茶室の中には
掘りごたつのような座席があるのをチラっと見かけたし。
又、海外に「茶の湯」を教えに行く時に、
檀上に迎えられた外人(の偉い人)が正座が出来ず
かっこ悪く前面に足を投げ出して座っていた。
そんなキツイ思いをさせるのは本望ではあるまい。
椅子を使ってもてなす事で壊れてしまう文化なのか?
勿論、茶を振る舞う側も、振る舞われる側も、正座をしているという
前提の元に、所作が組み立てられているので、
全く今と同じという訳にはいかないのかもしれないが。

こういう事を考えながら観てたら、とても面白かった。


【銭】
テアトル系1000円均一の水曜に鑑賞

▼作品詳細などはこちらでいいかな
父は家元@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
父は家元@大江戸時夫の東京温度

PS お茶ではないのだけれど(それ以前に飲食ですらない)、
 ウォッシュレットには「おもてなし」を感じてしまう。
PS2 そうでないことも含めた上での洒落なのだろうが、
 立川談志が「家元」を名乗ったのが、とてもかっこ悪く思えてしまうくらい、
 この映画の「家元」は求道している。
 他の「家元」がこれと同じくらい求道してるかどうかは分からないが。
PS3 大柴さんがなかなかかっこいい。
PS4 こういうの見ちゃうと『利休にたずねよ』が茶道具だけ集めた
 オママゴトみたいに見えちゃうのは致し方ない。
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