五つ星評価で【★★★★「こっぱみじん」という題名通り、誰もが幸せになれないけど、それでも誰もが「ぜいぜい」情けない声を上げながら、幸せの近くにまで辿り着けそうに見えるラストは秀逸】
主要登場人物は4人。
①私(我妻三輪子)
②私の兄(小林竜樹)
③兄の婚約者(今村美乃)
④私と私の兄の幼馴染(中村無何有)
①は恋人持ちだが、④の帰郷により、恋心がグラグラしだす。
②は③と結婚寸前だが、ある事件から③の裏切りが発覚する。
④は②と③の破談の影響から①を明確に振る。
我妻三輪子以外は名前を知らない役者だったが、みんなよかった。
私・我妻三輪子のデレっとした蛙みたいな風貌が映画に似あっている。
基本、甘えん坊な顔なのだが、愛に関してこの甘え上手っぷりがよく機能する。
いい距離を保ち、ジャブを放つ(興味の薄れた恋人には誠実でないのは困るが)。
兄・小林竜樹の傷つきながらのいい奴っぷりも凄く伝わってくる。
ゲス女を演じながらも自分を貫く事で、自分を守る婚約者・今村美乃の
硬質だけど柔らかさも感じる美しさ。我妻三輪子は「女の子」だが、
今村美乃は「女」を演じている。その無理のなさ。
無理のなさを通さなくてはいけない辛さ。
そして幼馴染・中村無何有のゴツゴツした朴訥な、
ある意味とても恋愛に向かない顔立ちが見ていると
とても愛おしく思えてくる。
このキャラクター達が、ちゃんとそれぞれそこにいるように、
全力で描かれ演じられている事がとても良かった。
ラストシーンの私の機転とも言える宣言と行動が
ああもうたまらない。【銭】UPLINK 見逃した映画特集1300円均一。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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こっぱみじん@ぴあ映画生活▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
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こっぱみじん@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
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五つ星評価で【★★★★★これがつまらないとかいう奴とは人生的に相容れない】
三回目か四回目か五回目。何かよく観ているようでもあり、そうでないようでもある。少なくとも過去に二回は観ている。
もう、絶対的に面白い。それは間違いようがない事実だ。
今回、気が付いた事だけ簡単に。
・これをきっかけに火災映画が山ほど作られるようになるのだが、
最初の一本であるこの映画の「火」はどのシーンでも均しく「火」でしかない。
シーンごとの「火」の違いまでは描き分けられていない。
それはそれで、そんな事まで描き分けない方がリアルな気がする。
・フレッド・アステアなんか出てたんだ。軽くダンスシーンがある。
三流詐欺師と言う役柄なのだが、あんな背筋のピンとした詐欺師はいない。
なるほど、三流かもしれん。
・マーサが着てるキラキラのバニー服がステキ。
あれ、風俗の制服にしてほしい。
・ゴンドラに最初の女性客が乗る時、「Let it go!(行け)」と掛け声。
瞬間「Let me go!(ありのままに)」かと思い違いして自分に苦笑い。
・別に英語に近い生活を送っている訳ではないが、
「Tower(塔)」に「ing」を付けた「Towering(超高層し続ける)」
という単語はこの「Towering Inferno(超高層し続ける地獄)」
でしかお目に掛かった事がない。
・「上は大水、下は大火事なあに」という謎々映画なのだな。
・この映画のキャスティングした人の名前はジャック・バウアー。
・まあ、しゃあないんだけど、今回の上映は35ミリではなく、
デジタルなのね(いや気づかんし、分からんからどっちでもいいんだけど)。
・ミラノ座最前列端っこの角席でも見やすいわあ。
舞台がある事でスクリーンと最前列の間に余裕があるし、
スクリーンが緩い円弧で角度が付いている。
畜生、こんないい設計の劇場がなくなっちゃうなんて。
立ち見でも、これをここで見れた人は幸せだ。
ちなみにこれ、多分、初見はミラノ座だったと思うな。
いやあ、それにしても面白かった。
やっぱり映画は熱意なんだと思う。
【銭】さよならミラノ座特別料金500円。
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タワーリング・インフェルノ@ぴあ映画生活PS アーウィン・アレンの映画をどこかでまとめてやらんかなあ。
五つ星評価で【★★★★★やっぱりこれはコンテンツとして最高に面白いと思う】
二回目か三回目。
貞本義行のマンガも最終巻を迎えたが、実はこっちの旧劇場版映画の方がエヴァの本質に近い終わり方ではないかと思った。前回までに観た時に分からなかったのはゼーレとネルフというよりゲンドウの目的の違い。ゼーレもゲンドウもサード・インパクトを引き起こす事で人類補完計画を遂行し、人類を永遠の生命を持つ群体の単体生物として再生させる事に関しては目的は同一である。だが、ゼーレはそれが予言書に書かれたあるべき歴史であるから遂行しようとしている。その為、最も予言書に近い形での遂行を行おうとしており、ここがゲンドウと異なる。ゲンドウは初号機に入った妻ユイとの邂逅を第一の目的としており、その為に人類補完計画を利用しようとしている。なので、彼からすればサード・インパクトが起きなくても、人類が補完されなくても何ら問題がない。初号機の中でゲンドウとユイが一体になれればいいのであって、シンジの存在すら道具として以外は不要だろう。ある意味、ゲンドウの一番、目指していた姿は永遠の存在である初号機が人類とは切り離されている映画のラストに近い状態なので、やはりゼーレとは相容れない。ゲンドウ以外のネルフ職員は一部を除いて、ネルフは対使徒殲滅部隊という位置付けと思っていたであろうから、ゼーレとネルフの対立などは迷惑千万な話であろう。
最終的にシンジは人類を巻き込んだ個体生物となる事を拒否。この「拒否」する可能性に手を打てんのかよというのがゼーレのダメな部分だと思うのだが、真実のロンギヌスの槍が月面から帰ってくるのは予想外なので、サードインパクトが即、起こるとまでは想定していなかったのだろう。想定していたら、レイ、カヲル、ダミープラグなどを使って「拒否」をしないチルドレンをセットして発動したに違いない。
ラストシーンで、シンジはアスカの首を絞める。アスカはシンジに「気持ち悪い」と言う。ここで、アスカとシンジが分かりあえてセックスしてしまったとしたら、それは小さな人類補完計画が発動したのと同じ事だ。人類補完計画を起動しかけた直後のシンジには耐えられない。だから、ラストの没交渉こそがシンジにとっての「分かりあえない他者」の供給という、とてもイビツなハッピーエンドなのだ。
だから、これはこれで、とてもよくまとまっている。
ただ、普通に、人類の種としての目標・進化が、群体の単生物化とは思わないし、その状態がSEXで忘我になっている状態に近いとも思わないし、それに反対し、人類は人類のままでいましょうという対抗勢力もいないとは思わないから、あの巨大レイ登場から巨大レイの頸動脈切断に至るまでの「やっちゃった」と言われる部分が分かりづらい、と言われてしまう。あれはTVオリジナルの分からない心理描写の繰り返しにすぎない、とか言われてしまう。
そうではない。
分かりづらいながらも、ちゃんと説明はされている(気がする)。
「気がする」ってのはまた気弱だが、
こんな複雑なコンテンツに対して
断言などして責任を取ったりしたくないというのが本音だ。
でも、作品の中にどっぷり浸かりこんでた総監督の庵野にしてみれば、
これが「分からない」と言われたら茫然とした事だろう。
ここまで説明して分からないのか、と
(それを表明したかどうかは知らない)。
まあ、天才と凡人の考えの幅は違うものなあ。
という私も凡人だから、これが合っている確証もない。
いや、でも、面白いコンテンツだと思う。
心に響くかどうかは別として。
心に響かないコンテンツでも面白いという事自体が面白いんじゃないか、と。
【銭】さよならミラノ座特別料金500円。
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THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に@ぴあ映画生活