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ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『さいはてにて』を渋谷シネパレス1で観て、映画空間に耽溺ふじき★★★★

五つ星評価で【★★★★空気が気持ちよい】  

好き嫌いが分かれそうな映画であるが、私は大変気持ちよく見る事が出来た。
そして、見た直後は感じなかったのだが、一っ風呂浴びたら実に様々な暗示を含む物語である事に気が付いた。

物語にはほとんど男が出てこない。
登場するのは永作博美の父、村上淳と佐々木希に寄生する永瀬正敏くらいである。

村上淳は船舶事故で行方不明になっており、
永作博美は再会の夢を抱いて舟小屋を改築して珈琲専門店を作る。
そこに現われるのは遠目に父に似て見える永瀬正敏だが、
彼は根っからの簒奪者であり、父親としての属性を持っていない。
永作博美の貞操を奪おうとした永瀬正敏は岬から追いだされる。

物語には親の役割を持つ者がほとんど出てこない。
唯一、その役割を担うのは佐々木希の祖母、浅田美代子である。
佐々木希の父母に関しては詳しく触れられず、単にいない人として扱われる。
つまり、佐々木希自身が母でありながら、自分の父母を失った子供だ。
一見、佐々木希を補完する親のような立場に立つ永作博美も又、親を待つ子供だ。

「最果て」という言葉から南国を想起する人はいないだろう。
まず間違いなく北国を思い起こす。
これはその最果ての地で、
父や母を失った子供たちが肩を寄せ合って生きる物語だ。

その中で、もっとも暗示的なのは、永作博美が自分の事を
宮沢賢治の「よだかの星」に準えながら、醜い鳥「よだか」と自称する事だ。
これは彼女から擁護される子供に否定される。
子供にとっては永作博美が、そのような得体のしれない物であっては困るのだ。
「よだかの星」の「よだか」はとても幸せには思えない。
禍々しい呪いを受けでもしているかのようだ。
そして、その呪いは物語の最後まで解けない。けっこう壮絶にイヤな物語である。
永作博美も傍目から幸せそうに見え、人に優しく接していても、
どこかに癒えない傷を抱えている、そういう人だという事なのだろう。
この傷口は最後に大きく開く。
だが、どんなに傷口が大きく開いても、その傷その物をなかった事にはできない。
傷を抱えながらも、新しく出来た家族と一緒に暮らそうという物語の締め方は
優しくあたたかい。

永作博美の「こちょっ」と まとまってて、
童顔なのでどうにも善人にしか見えない顔立ちは良い。
いいキャスティングだ。
ちょっとあのゴツく派手な感じの旅人みたいな服はイヤだけど。

素晴らしく手足が長く、母として子供と接する事が出来ずに
イライラしてる佐々木希。相変わらず綺麗な生き物だ。

映画の中でもっとも共感したのは臼田あさ美演じる女教師。
あの「あああああああああ~あ」という
コーヒー飲んだ後の嘆息が、とても良く分かる。
いい、コーヒーはあんな感じを引き出してくれる。


【銭】
渋谷シネパレス木曜日メンズデー割引で1000円。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
さいはてにて~やさしい香りと待ちながら~@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
さいはてにて~やさしい香りと待ちながら~@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評

PS 吉永小百合の近作も、
 北のさいはてで父の思い出と過ごす喫茶店店主の話だった。
 何か北の大地に女を喫茶店店主に仕立てようとする
 熟れない喫茶店店主の地縛霊でもいるのか?
 吉永小百合はコーヒーよりは味噌汁が美味しそうなので、
 コーヒーは永作博美に入れてもらいたい。
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