そろそろ忘れそうだから感想UPしないと作品
五つ星評価で【★★★普通に面白く、観終わったなあという充実感は感じたが、よくよく考えると色々合点がいかない気がしてきた】
監督前作の
『おおかみこどもの雨と雪』の情感を優先させながら「どう生きるべきであるか」みたいな哲学で締める話が嫌いだった。哲学と言っても人と狼のどちらを選択するかと言う選択肢に現実の人生における実用性がないので、それは考え落ちにしかすぎないだろうというイヤさがあったのかもしれない。今回は単純な娯楽作品として見れて面白かった。前作同様「どう生きるべきか」の設問は話の中に籠められているが、それは極めて実用性に富む内容となっている。但し、実用性に富む部分が映画のつまらない部分であり、映画って難しいなと再考を促された。どうしても九太がリアル人間世界に魅力を感じる部分がピンと来ない。それは自分がリアルな現実を肯定的に捕えられていないという事かもしれないが、そんなん大半の人間がそうでないのか? いや、子供は違うのか。そういう意味では正しいのか。
単純に、世界の違うはぐれ者同士が親子になってくドラマがよい。
そして、子供が新しい世界(それは彼が捨てた古い世界と言う皮肉)を見つけ、
親離れしようとした時、子供の自分自身(=分身)と決着を付けるために、
親が身を切ってサポートするという浪花節をウルトラC的な解決方法で
絵として表現するのは、凄く考え抜かれた寓話的なアクセスだと思う。
ただ、そのウルトラCな解決方法がいきなりだし、
最善の手にはあまり思えないので面食らってしまう。
何か考えれば他にいい手立てがありそうな気がする。
そして、その熊徹と九太が一体になる事によって無敵になるという納得感がない。
あまり明確な理由もなしに、敵に勝ってしまうのは娯楽映画としてよろしくない。
しかし、化け物が姿形が違うだけで、異常に「人間」だ。
彼等のバケモノとしてのアイデンティティはどこにあるのだろう。
「西遊記」の流れを組むバケモノなら、
人食いを率先して行ってもおかしくない存在の筈なのだが(そうは見えない)。
熊徹の役所広司はちょっと聞き取りづらいが、顔が思い浮かぶほどではなかった。
多々良の大泉洋、百秋坊のリリー・フランキー、宗師の津川雅彦はあてぶりだから演技に問題はない。ただ、その役者が喋りそうなセリフを喋るだけの役だから、実は彼等はアニじゃなくて実写でもよかったのではないか(いや、そんなマヌケな真似が出来ない事は重々承知だが)。驚くようなアニメートもなく、脚本の上だけの役という感じが強い。
楓の広瀬すず、いい声だなあ。聞き惚れた。
一番の問題キャスティングは染谷将太。染谷将太と分かりすぎる。
彼が短期スパンで激昂する役を連続オファー受けてるのも良くないのだが、やはり癖のありすぎる発声は彼を隠せないし、それはアニメ映画の情報としては切り捨てたい無駄な部分なのだ。
九太(宮崎あおい)と多々良(大泉洋)は
『パコダテ人』。
そもそも尻尾を持つバケモノらしき物なのである。
ツイッターで
『バケモノの子』というタイトルから、前作も
『バケモノの子』だったじゃんという話をする人がいて、成程とも思ったが、映画鑑賞前に「バケモノであるかどうかは戸籍の有無で決まる。雨と雪は戸籍を持ってるからバケモノとして扱うと差別になる」みたいな事を返したのだが、実際、映画見たらそんな話の展開があった。いや、本来、そんな役所がどうのこうのはどうでもいい話だろ、おい。
楓ちゃんに外なら「何やってもいいんだろ」と言ってメチャクチャやる成人バージョンがみたいんです、すいません(バケモンは俺の心と下半身にいる)。
【銭】前回有料入場割引(2か月有効)で1300円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
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