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ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『野火(塚本版)』をユーロスペース1でリベンジして返り討ちに会う男ふじき★★★

五つ星評価で【★★★これはこれで大した物に違いないは違いない】

結論から言うと、私はこの映画が苦手である事を再認識した。
これは主観であり、感情の映画だ。
市川版が物語を語るために背景などを事細かに説明するのに対して、
塚本版はその場の空気を描写する。市川版が小説なら塚本版は詩だ。
そして、塚本の感情表現はアッパーだ。
戦場で普通の感情でいられる筈がない。
だから、普通じゃない感情で表現する。
確かにいきなり戦場に放り込まれたら「こんな感じ」かもしれない。
違うかもしれない。分からない。戦場に放り込まれた事がないから。
なので、他の人たちが「まるで戦場みたい」と言ってるのを聞きながら、
「塚本的な強い脅し」だな、とか不敬な事を考えてしまった。
何か、お化け屋敷に紛れ込んでしまった感じ。
後半、主人公は猿(人肉の比喩)を食う男たちに会う。
彼等はとてもごく普通の振舞いとして猿をつかまえて食おうとする。
そこに禁忌はない。そして、主人公にも禁忌は薄い。
もう、こうなったからにはしょうがない。そういう空気が漂う。
だから、塚本版では猿を食べる事に対する善悪が際立たない。
どちらも同じ罪の共犯者だから。
市川版では戦後いろいろと戦場の地獄が暴かれた結果が、
その制作された時代ではまだ咀嚼されていない(映画にいかされずにいる)。
戦場にいる多くの兵士ともども「猿を食べる事は大いなる禁忌」という
コンセンサスが成り立っている。
にも関わらず、
禁忌を犯してしまった男達は「猿」と言いきって、禁忌を誤魔化し、
禁忌を犯すくらいなら死を厭わない主人公は、禁忌に正々堂々と対峙する。
この葛藤が塚本版では薄い。
エンディングの戦後の悩む自分描写も、
深い話に見せようとするアリバイ作りに見えてしまった。


【銭】
ユーロスペースの会員割引で1200円。

▼関連記事。
野火(市川版)@死屍累々映画日記
野火(塚本版一回目)@死屍累々映画日記
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