題名しか知らずに版権の都合で見れなくなるらしいとの事で足を運んだ。
ミュージカルか何かだと思ってたら、ハリウッドの内幕物だった。
多分、これを原型にして、あちこちでオマージュされまくっているっぽく、
どこか他で見かけたようなプロットやエピソードが散見される。
もちろん、こっちが先だろう。
登場人物の誰にも感情移入できないからキツい。
みんなそこそこイヤな奴(唯一の気持ちいい奴は中盤から退場してしまう)、
大体、主人公が罠に絡めとられたとは言え、
自分のやってる事に罪悪感どっぷり浸かってるのだからスッキリしない。
その主人公を若い燕としてはべらせる往年の大女優も
外見を情け容赦なく「容貌衰えた風」に描かれている。
主人公とこの大女優、ぱっと見、親子でもきっとおかしくない年齢差だろう。
そして、爛れた生活と対比して描かれるシナリオライターとしての主人公の
才能を高く買う撮影所の裏方の女の子。
この子が大女優との対比の為か、芋っぽくって田舎くさくて、
どうも私の好みと合わん。
話の主題は「映画に憑りつかれる事の恐怖」じゃないかと思うのだけど、
展開はネチネチネチネチ痴話喧嘩でスロースペースで進める。
きっつい。こんな痴話喧嘩をゆっくり見せられるのはつらい。
ラストシーンのあのもう人格も何もかも捨てて「女優」という
概念その物に乗り移られたような、表情のないただの放射光、
あれ、色々な映画で、演技も何もかも乗り越えた時に現われる
「神のような憑依現象」であろう。
最近では『イニシエーション・ラブ』の前田敦子のラストの表情がこれ。
『千年女優』もこれでしまっていたかもしれない。
あと、劇中の大女優の扱いがあまりにもひどいからか、
もうちょっと人間的に血の通っている手塚治虫が『ブラック・ジャック』
で全身整形で復帰する大女優のエピソードを描いている。
うん、手塚治虫の方が全然優しい。
脚本家助手と脚本家が本来の恋人と離れた場所で、
話を練り上げていくというプロットはどこかで見た気がする。
題名も覚えてないけど「ヒッチコックの妻」の映画だったかなあ。
オマージュなのか、もともとこういうゴシップがあったのか?
主人公があの状態で喋り出して、あの状態に戻るまでって
『ローリング』にちょっと似てるかも。
himselfとして出てるセシル・B・デミルも中々いい役者だった。
【銭】
ラスト一本割引で850円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・サンセット大通り@ぴあ映画生活
PS ウィリアム・ホールデンは毛もじゃ。
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