ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『劇場版ソードアート・オンライン オーディナル・スケール』をシネ・リーブル池袋1で観て、あっうまいじゃんふじき★★★(ネタバレあり)

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▲絵は後から入れる予定→予定完遂。

五つ星評価で【★★★宮崎駿と対照的】
原作小説、TVアニメ未読未鑑賞。いつもの如く一見さん鑑賞である。

冒頭、今までの『ソードアート・オンライン』の粗筋を展開してくれるのは助かる。
仮想現実ゲーム「ソードアート・オンライン」に対比される新ゲーム、
拡張現実ゲーム「オーディナル・スケール」。
まあ、とっても単純に言うとダンジョンのある「ポケモンGO」である。
この現実と打ち合って負けない素早いアイデアは良いなあ。

仮想現実の世界に捕らわれてゲームでの死は現実の死に繋がる、という世界観から
『アクセル・ワールド』というアニメを思い出した。
こちらは、仮想現実の世界に一斉にログインできなくなる事象の発生と
ログアウト時にログイン中の記憶を失ってしまうという障害に立ち向かう集団の物語だ。
表裏一体な感じの同質性だなあ、と思ったら、
あにはからんや同じ原作者(川原礫)の作品なのだった。

『アクセル・ワールド』がバリバリの萌えキャラばかりなのに比べて、『ソードアート・オンライン』は比較的、現実に根差したというか、地味キャラばかりである。あまり突出していない方がリアルかもしれないし、アバターと現実の相違がありすぎるのはやはり青少年の恋愛も絡む物語なので、多少の嘘になるにしても、規格外のブサイクは除外したのだろう。本来は主人公なんかは暗いデブで、一般婦女子からは嫌われるタイプにする方がよりリアルだと思うけどいたたまれない。女性キャラも全員ネカマなんてのもありそうだけど、それもいたたまれない。そこまでしてリアルにこだわる必要もない。
とは言え、キャラクター造形は強い「萌え」寄りではないが、少年マンガと少女マンガのハイブリット的な感性で描かれている。少年マンガ特有の極端にデフォルメされたキャラクターはいない。それは作品にリアルな安定感を持たせているが、同時にリアルな枷で縛られているようにも見えてしまう。この登場人物の日常生活でのアニメート(動かし方)が妙にぎこちなく下手なのと合わせてそこはマイナスであるとハッキリ言っておこう(ちなみにゲーム世界内でプレイしている最中のアニメートは何の問題もない)。
お話の面白さを捨てても、一つ一つのアニメート(動き)にヒステリックなこだわりを見せる宮崎駿とはここが正反対だ。勿論、話と動きの両方が揃っていた方がいいのだが、どちらか一つしか優先できないのなら、「劇」映画であるのだから私は話を優先してほしい。そういう物が見たい。

この辺からネタバレするっす

今回の劇場版で、事件を起こした者がやりたかった企みについては中々よく考えられている。そして、その計画を遂行する者のメンタリティーも実に「らしい」。そして、その企みが実行されることによる現実世界での弊害などもよく考えられている。人間が人間として成立する為には、記憶は欠かせない要素なのだ。

ラスト、開発者の博士は新たなシステムへの扉を開かれる。
その名は「ラース」。
「ランス」だったら、昔の名高きエロゲーだ。それはそれで楽しいかもしれん。博士の専門分野がAI(人工知能)で、余技としてロボット工学にも精通しているというのがヤバい。アトムみたいな高性能のダッチワイフが作れてしまうじゃん。
で、「ランス」でなく、「ラース」な訳だが、「ラース」で思いつく映画と言ったら『ラースとその彼女』しかない。みんなが気に掛けてる好青年のラースが連れてきた彼女は高性能ダッチワイフだったというオタクには痛いコメディー。「ラース」というゲームが仮想現実でなく、拡張現実で展開するなら、自分以外のプレイヤーには「ラースの彼女」達が相手をするのかもしれない。そこに「性」が展開するゆとりがあるなら、これを国の主要輸出品として企画しても充分ペイするのではないだろうか。


【銭】
テアトルの会員割引+曜日割引で1000円。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-@ぴあ映画生活
▼関連記事。
アクセル・ワールド@死屍累々映画日記
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『世界一キライなあなたに』『マイ・ベスト・フレンド』をギンレイホールで観て、キャラを立てて殺せふじき★★,★★

身近な病人が死ぬ映画二本立て。

◆『世界一キライなあなたに』
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▲王子と家来

五つ星評価で【★★あー死んだ死んだ】
自ら死期を決めた首から下が動かないイケメンとお手伝い女の擬似ラブストーリー。
イケメンに同情をするのはやぶさかではないが、感情移入は出来ない。
誰だってあんな目に会いたいとは思わないが、
そんな目に会う事がどんな目であるのかが、彼によってしっかり訴えられていない。
彼のツラさは「そらツラいだろう」という状況証拠からしか心情を類推できない。

お手伝い女は貧乏で、すましてると水原希子っぽい美人なのだが、
感情表現過多でいつも顔をグチャグチャにしてしまい、なかなか不快な顔だと思う。
美人は笑顔も美人じゃないと台無しになってしまうのである。


◆『マイ・ベスト・フレンド』
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▲狸と狐

五つ星評価で【★★こっちも死んだ死んだ】

ドリュー・バリモア(狸女)とトニ・コレット(狐女)の友情物語。
これでもかとばかりにキャラを盛ってから、的確に殺す手腕は見事。


【銭】
ギンレイホール、会員証で入場。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
世界一キライなあなたに@ぴあ映画生活
マイ・ベスト・フレンド@ぴあ映画生活

『素晴らしきかな、人生』を一ツ橋ホールで観て、ウィル・スミスお前って奴はふじき★★

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▲宇宙愛キーラ・ナイトレイ テレサみたいな恰好で出てきてほしい。

五つ星評価で【★★超完膚なき駄作とまでは言わないけどウィル・スミスの片岡鶴太郎みたいな立ち位置が嫌い】
試写会で観させていただきました。なので、私の好き嫌いは別として、まあ、こういう映画があってもいいのかなと言っておきます。映画好きの人が、この題名で観る気はなかったけど、招待券貰って見たら、ビックリするほどではないけど、まあ、ちょっとだけやられちゃったかな、と思いそうな映画。同じ監督が撮った『プラダを着た悪魔』みたいな娯楽映画と思って見に行くと火傷してしまうので、そこは注意。

ビックリするほど豪華な出演陣。
いまやラッパーだったとは知るまいウィル・スミス
いまやハルクだったとは知るまいエドワード・ノートン
政治からマシンガンまで何でもあれヘレン・ミレン
どの映画もいいんだけどそれでもタイタニック女ケイト・ウィンスレット
負け組をやらせたら凄い勝ち組野郎マイケル・ペーニャ

ウィル・スミスを真ん中に、みんな均等な時間出演している。主役はやはり中央にいるウィル・スミスなんだろうけど、群像劇みたいな変なバランス。こういうのが「実話」だとハクが付くんだろうけど、どう考えてもこれは頭で考えた物語だ。うん、うまくまとめたね、とは思うけど。

さて、個人的に片岡鶴太郎が芸人より芸術家として見てもらいたいという欲望が止められないみたいに、ウィル・スミスは役者なのに演技や作品がどうとかいうのを目標としているとは思えない。ウィル・スミスの欲望はただ一つ。「俺っていい父ちゃんだろ」。これだろう。そんな承認欲求は家庭でやれ。


【銭】
スポーツ新聞の試写会に応募。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
素晴らしきかな、人生@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
素晴らしきかな、人生@辛口映画館

『或る剣豪の生涯』『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』を新文芸坐で観て、世界の三船かっけーふじき★★★★,★★

特集上映「没後二十年 三船敏郎 中村錦之助 勝新太郎」の1プログラム。

◆『或る剣豪の生涯』
五つ星評価で【★★★★心が綺麗なのに報われない奴には弱いよ】
多分、二回目。
三船敏郎をシラノ・ド・ベルジュラックに設定しながら、
舞台は天下分け目の関ケ原というビックリ変化球。

何でも得意だけど、恋だけは思うようにいかないシラノって
コンプレックスの強いオタクとしてこんなに親近感の湧く役ってない。

ロマンチックな恋の詩をそらんじる三船はユーモラス。
外見は野人だけど、心は繊細という役を大いに楽しんでいる。
一部セリフが長くて冗長なのは三船の責任ではないだろう。

逆に外見は美麗衆目だが、頭の中はつまんないという美男子に宝田明。
しゅんとしてたんだなあ。谷原章介っぽい。

綺麗なベベを着て乞食する七重(淡路恵子)が顔立ちは好みじゃないけど、
犬とか猫とかと同じレベルで三船になついてる感じがかーいかった。
ロクサーヌの司葉子よりこっちの子の方が心を許せる感じ。
もうちょっと出番を増やしてあげたかった。

天本英世が最初に騒ぎを起こす徳川武士の中にいるらしいのだが、よく分からなかったのが残念。


◆『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』
五つ星評価で【★★リアル時代劇】
初見。
講談で有名な(らしい)荒木又右衛門の敵討ちをひたすらリアルに描く。
仇討の緊迫さはものごっついのだが、
仇を待つ時間が緊迫溢れる演出を施されながらジリジリと果てしなく長い。
キツかった。


【銭】
新文芸坐の会員割引250円減の1050円。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
或る剣豪の生涯@ぴあ映画生活
荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻@ぴあ映画生活

『ホワイトリリー』を新宿武蔵野館3で観て、不快だけど強烈だふじき★★★

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▲おかめと天狗のキスの後ろに現われる般若。このあと激おこ!

五つ星評価で【★★★不快を通り越せるか越せないか】
映画を見るにあたって、人が絶望に沈んでいるとか、苦痛を強いられている様子とかを延々と見せられるのはキツい。サディストではないし、マゾヒストでもないので、そういうの全開でずっと泣き叫ばれるのは苦手。ごくごく一般的な感性だと思う。町中で子供が泣いているのも不快だしね。そう、とても不快な映画なのだ。
なので、映画の冒頭から終端まで、のべつまくなく顔が苦痛に歪んでいるこの映画はきつい。おで根性がないからレズ映画なら、ソフトなレズ映画が見たかったなあ。ホワホワ、プリンプリン、ウキウキ感、高そうな奴。

この映画のレズシーンは真逆。修羅の道的なレズシーンである。
主役の飛鳥凛と、彼女に君臨する非道な女王・山口香緒里。
オカメと般若のお面を付けてでもいるよう。
般若に支配されながら般若を愛する深情けのオカメが可哀想。
そこに乱入する若い男・町井祥真。これは天狗面だろう。
それぞれの微細な思惑はありながら、それぞれの基本的な感情トーンは変わらないので、
各自が般若、オカメ、天狗の面を付けたまま演じても成立しそうだ。
それはとても異常な光景なのだが、見てみたい気にもする。

しかし、主役の女性二人がとても「昭和的」に撮影されている。
場を支配する女王的な位置付けの山口香緒里はそれでもいいが、
若者なのに昭和っぽく、村の青年館で夜這いとかかけられていそうな
飛鳥凛の垢抜けなさってどうなんだろう。
説得力があるのだけど、良くも悪くも重く見える子だ(少なくともこの映画の中では)。

あと百合の花の中で一戦というレズシーンは、ちょっとその物すぎて引く。
その真逆で薔薇の花の中で男同士のホモシーンがあっても同じように引くだろう。
あまりにもあからさまな意味のグラフィック化って何の意味があるのだろう?

「不快」だったり「昭和的」だったりがマイナス要素としてぐんぐんポイントを上げてくるのだけど、メインの感情のぶつかり合いが御座なりになっていず、ちゃんと筋が通っているので、全体としてそれが「強烈」に昇華されていて、単なる失敗作には終わっていない。うん、でも、きゃははは、きゃっ、気持ちいい~、あはん、あはん、みたいなレズ映画が見たいってのには逆らえないな。レズ映画に人生が付いてくるのは重い。もしかしたら、ロマンポルノ枠じゃなかっらOKだったのかもしれない。


【銭】
チケット屋で劇場鑑賞が6回可能である武蔵野興行の株主優待券を4500円でGET。うち1回分で鑑賞(3枚目)。

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ホワイトリリー@ぴあ映画生活
▼関連記事(他のロマンポルノ・リブートプロジェクト)。
風に濡れた女(一回目)@死屍累々映画日記
風に濡れた女(二回目)@死屍累々映画日記
雌猫たち+アンチポルノ@死屍累々映画日記

『刑事物語 小さな目撃者』を神保町シアターで観て、昔が面白いふじき★★

五つ星評価で【★★54分の中篇だが、ストーリーでビックリできないのがちょっと(当時の流行風俗とか見る分には面白い)】
特集「あの時の刑事」から1プログラム。
1960年のモノクロ映画。もちろん初見。

映画に出演している役者で知っているのは益田喜頓くらい。
これが年配の叩き上げ刑事。
息子が本庁の刑事。
昔、少年サンデーで連載していた「親子刑事」みたいな設定だが、
親父がノンキャリアで、息子がキャリアと言うのは『踊る大捜査線』っぽくもある。
いやまあ、親子だからってだけでなく、みんな仲良く捜査してますけどね、この頃は。

その喜頓親子の所に倉庫番夫婦が殺害された強盗殺人が持ち込まれる。
被害者の一人息子はまだ小さくて事件について語れない。
喜頓刑事は子供をあやしながら捜査に乗り込むのだった。
ラスト子供の発言で容疑が急遽固まるのは、まあ、見えてるけどいいだろう。

容疑者(仲間割れで殺された被害者)の手帳から競馬場に張込を掛ける喜頓。
共犯者の顔も分からず、闇雲にかける徒労としか思えない張込である。喜頓が言う。
「だが、私はダメだと分かっても、ずっとこのやり方でやってきたんですよ」
99%無駄と分かっても、残りの1%に掛ける刑事魂が泣ける。

などという本筋とは無関係に面白かったところ。
・冒頭、ホテル聚楽のネオン。いつからあるか知らないけど何か凄い。
・子供が常時付けてるのが七色仮面のお面とマント。
 マントは七色仮面のロゴが入ったマーチャン・ダイジング商品。
 今では知る人ぞ知るヒーローだが、1960年にTV公開されて
 月光仮面と人気を二分する作品だったらしい。
 ちなみに七色仮面は東映、この映画は日活なので、系列頼りの起用ではない。
 それだけ違和感なく流行っていたという事だろう。
・ラスト、喜頓と子供との別れ。子供を迎えに来た祖母が使っていたのが蒸気機関車。
 そうだよなあ。1970年くらいまでは実稼働していたものな。
・脚本が昭和ガメラの高橋二三。大映の人というイメージだが日活でも書いてるらしい。
 ガメラの5年前の映画である。


【銭】
神保町シアターポイント5回分無料入場。

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刑事物語 小さな目撃者@ぴあ映画生活

『セル』をトーホーシネマズ六本木6で観て、おうおうおうキングブランドしゃんふじき★★

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▲エス・キュー・ジャクソン

五つ星評価で【★★キングの豪腕炸裂】
ケータイ持ってる奴が全部亜流ゾンビになってしまう。
『キングスマン』の例のチップっぽい展開だが、
音声通話を掛けていたらという縛りがある。
ガラケーでもスマホでも、そんなに音声電話として使ってないだろうとは思うものの、
感染者が全力で使ってない人間を排除するので、一応まあトントンかと思わなくもない。
あのピーピーガーガーは携帯というよりはFAXだけど、
聞こえてくると納得してしまうのはそういう経験をみんな持ってるから。
FAXにそんなに親しんでない若い人は「あの音なに?」みたいな感覚かもしれん。

冒頭の空港大パニックから、話がいきなり始まってしまうのがいい。
あと、ゾンビもどきの生態が面白い。
でも、あのゾンビもどきが自生的な生物だとして、
あの後、一個の生物として、どう世界に浸透していくのか展望が全く見えないのが
ちょっと適当だと思う。

ジョン・キューザックとエドワート・ノートンの違いがよく分からない。
どちらかと言うと品がなさそうなのがキューザックか。吐いたゲロが酸っぱそうな方。

いつどこにいてもすぐ戦闘モードに移行できる便利なサミュエル・L・ジャクソン。
サミュエルは『キングスマン』で自分がばら撒いたチップのツケを自ら払わされるような役。

エスターちゃん、いい空気の女優になった。というか、大人になった。

前半のぶちかましはいいだけに、
それで締めるのかよというラストがブーイング大賞。
まあ、雑なのがスティーブン・キング脚本っぽい。


【銭】
トーホーシネマズ入場ポイント6回分を使って無料入場。

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セル@ぴあ映画生活

『こんぷれっくす×コンプレックス』をトリウッドで観て、正しく戸惑ったよふじき★★★

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▲訥々すぎる二人

五つ星評価で【★★★腋毛と女の子という題材は押さえとかんといかんかなと足を運んだ。えーと、うん、まあ、そうだねえ。良くも悪くも真っ当だけど、踏み外してもらいたかった気もする】
女の子と毛という題材では松井大悟監督が『スイートプールサイド』で撮ってるので、同題材かと思ったが、あっちははっきり思春期のエロ。生えてる生えてないが男女逆で、思春期の男の子が女の子の毛に対して狂うほどフェチを募らせていく。うん、それはそれで清々しいんだけどエロ。こっちは女性監督目線なので女の子自身の発毛に注視は少なげな事もあって一般的な対男性顧客に掘り下げたエロよりも「そこを掘り下げるのか」というニュアンスの機微を見る映画になった。

題材は「腋毛」だけど、その「腋毛」を真ん中においてやりとりする男女の会話の初々しさは極めて少女マンガ的である。二人の間で語られる題材は「肉体の一部」なのだが、大事なのはそこでやりとりされる一喜一憂、この表現を細かく写実的に掬い取るのが少女マンガ的(女性的)だ。そして、彼女の対象に対する接し方は盲目的に突っ走る事はなく、案外冷静だ。
少年マンガ(男性的)は違う。エロならエロで心のやり取りとかはすっ飛ばして一直線だ。ためらう事よりも関係性を先に進める事の方が大事なのだ。

なので、この物語の中の主人公の彼女は自分の関心に自覚的でありながら、それを楯に取って男の子を暴力的に一方的に好いたりはしない。それは女の子がスイーツに関心を向けるのと同じくらいの好奇心なのではないか。スイーツは好きでも、好きが色々ある中の一個である。
なのに、男の子の方は、「自分の身体に興味がある=自分の心にも興味がある」、泣きたいくらい全力で突っ走ろうとする。可愛いけど脱輪する事が分かってる電車を見てるみたいで切ない(それは私が野郎だから)。

プレスコ方式(声の先取り)で取った朴訥な少年少女のぎこちない発声が、逆にエロくて可愛い。それは私が野郎だから、エロく考えたい時は全力でエロく考えるから。
難儀やなあ、野郎って。
そういう難儀な野郎の第一歩勘違いとして、男の子には女の子の発毛した脇を5時間くらい「ねぶる」とかさせてあげたい。させてあげた時点で、話は終わってしまうけど。

主役の男の子女の子は朴訥なのをオーディションで浚ってきた風な事を監督が舞台挨拶で言っていて、その期待を裏切らない、いい意味での訥々とした声だった。
三人目の中学生は春名風花、あのツイッターで物凄く正しい事を言うハルカゼちゃんじゃん。主人公に対比される普通の女の子役を凄く安定感がある声で演じている。プロだからな、この子は。

監督が舞台挨拶で、新海監督が映画を見に来て褒めたけど、それが自分が思ったような大騒ぎの動員には結びつかなかったと言っていたが、私か最初にトリウッドで新海監督の『星のこえ』を見た時も割りかし入りはポツポツだった訳なので最初はそういうもんじゃないかしら。

あれか、新海監督みたいに宇宙で行くか。
「腋毛×宇宙」
あー、まったくわかんねー。


【銭】
番組価格900円均一。

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こんぷれっくす×コンプレックス|映画情報のぴあ映画生活
▼関連記事。
スイートプールサイド@死屍累々映画日記

『マグニフィセント7』を109シネマズ木場4で観て、好きになりたかったのにふじき★★

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▲7人

五つ星評価で【★★出来れば好きになりたかった】
『七人の侍』は偉大なる傑作だし、
『荒野の七人』はクリーンヒットな佳作だと思ってる。
そいで、今回のはちょっと前に『七人の侍』を見直してしまったのがいけなかった。あんな面白いのを見てしまうと、やはり通り一遍の物語では対抗できない。

もっともあかんと思ったのは七人のガンマンは外見的な個性はありつつも、内面的な個性が今一つよう分からんかった事だ。この点、原典は逆。侍たちは似たり寄ったりの面々なのだが、その活躍や行動で自分達の存在を立てていく。
侍の陣容は参謀、参謀の昔からの忠臣、参謀を見初めた参謀と同じ実力を持った副参謀、剃刀のような剣客、明るい薪割り武士、若者、荒くれ者。
ガンマンの陣容は(宣伝文句によると)賞金稼ぎ、ギャンブラー、スナイパー、暗殺者、流れ者、ハンター、戦士。いや、このキャッチフレーズでは違いが明確に浮かばない。
言い換えると、賞金稼ぎの黒人、酔っぱらいの荒くれ者、黒人の昔の仲間とその相棒、メキシコ人の悪漢、田舎者デブ狩人、インディアンの無口な若者。内面より外観が多いな。そして、その外観に基づく個性があまり見えてこない。

原典の七人は七人に限らずお人好しだ。日本人ってお人好しが多いのだ。だから、悪態を付く駕籠かき同様、百姓に肩入れせずにはいれない。理屈的にはバカな事だ。でも、情がその理屈を捩じ伏せる。そういう七人だった。

ガンマン達は何でこの作戦に志願したのかがよく分からん陣容だ。黒人の賞金稼ぎは直接、被害者を見てるからまあ、いいとしよう。彼の昔からの仲間とその相棒もまあ、黒人を知ってる仲だからギリよしとしよう。酔っぱらいの荒くれ者(ギャンブラー)、こいつは分からん。酒場に酔っぱらいなど転がってるだろうし、彼の態度が黒人の行動に心酔したようにも見えない。単に後ろを付いてくる酔っぱらいって逆にイヤだろう(たまたま腕が良かったからプラマイゼロだけど)。普通に考えたら、この酔っぱらいは黒人を見初めたホモでしかない。メキシコ人の悪漢は全く彼が行動を共にする理由が分からないし、狩人も何となく、にしか見えない。何だ洗脳か。インディアンは神の啓示だからオカルトである。それはまあ、逆にありか。
彼等は烏合の寄せ集め集団であるが、彼等同士の関係や彼等と町人の関係もよく描かれていない。最近は黒人のガンマンも描かれるようになったが、メル・ブルックスの西部劇コメディー『ブレージング・サドル』で黒人の保安官が赴任地でいきなり縛り首にあったように、黒人が根差していない土地ではうさんくさくて信用されづらいだろう。ぱっと見町人に黒人の姿は見えなかった。そういう所で反対派の彼等に近づく賞金稼ぎの黒人、普通に考えたらそいつは支配者側のスパイだ。何故すんなり信用してしまうのか、よく分からない。だって黒人は侍の参謀のような人徳者にも見えないんだもの。酔っぱらいは私の中では普通にダメ人間だし、メキシコ人や、インディアンなんて通常だったら町人に仇名す存在だろう。こんな、いつ裏切るか分からない奴らを寄せ集めて戦えるのか。
とりあえずなし崩し的に戦ってしまうのだが、よく分からないのは村の備蓄を守るという理由のある侍と違って、ガンマン達は何を目的に戦っているのかがよく分からない。町人を殺させない為であるなら失敗してるし、悪党を壊滅させる為なら、そういう消耗戦に乗り込んでいく悪党がバカすぎる。そんなの親分は避暑地でクータラして、下っ端だけ戦わせて相殺させて全滅させればいいのだ。わざわざ殺されにノコノコやってこなくていい。刀と違って、銃は遠方から一発でも当たれば流れ弾でも死亡する。そんな所に一番いい標的がネギしよった鴨になって挨拶しなくていいだろう。単に近寄らず逃げとけばいいじゃん。金持ち喧嘩せずだよ。

みたいな流れでガン・アクションはいいんだけど、全体の構成がガン・アクションを単に成立させるためにお膳立てされたように見えて乗れなかった。

うん、あのガトリングガンは大好きよ、本当。


【銭】
109シネマズのポイント6ポイントを使って無料入場。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
マグニフィセント・セブン@ぴあ映画生活
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マグニフィセント・セブン@ペパーミントの魔術師
マグニフィセント・セブン@徒然なるままに
マグニフィセント・セブン@だらだら無気力ブログ
マグニフィセント・セブン@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評

PS リメイクのリメイクでもう一回江戸時代に戻って。
 温泉の採掘権利を争う『髷に銭湯7』はどうだ!
PS2 いいないいな人間

▲マグニフィセント7善玉の人間感覚。

『青鬼 THE ANIMATION』を東宝シネマズ新宿1で再見して、見るべき部分がラストに結集だふじき★★★

五つ星評価で【★★★ラスト5分を再確認】
基本的に、大した作品ではない。それは覆されなかった。
でも、引っかかる物があってもう一回見に行った。

何で、こう退屈なのだろうか。
惨劇が始まるまでが長い。ラストの伏線回収のために餌をまき散らしてる状態だが、民研の会話のみで行われるこのパートがキャラクターの説明も兼ねるためか、冗長でダイナミックさに欠ける。話してるだけだから、よっぽど特殊な演出をしない限りダイナミックさは生まれようもないのだが、もう、ただひたすら平坦。民研のキャラ5人はそれぞれに類型的でつまらないのだが、彼らと対をなす正体不明の三年生・立花が正体不明で接点もないのにただ嫌われているという理不尽。

青鬼の見た目はゲーム仕様まんま(ゲームやっとらへんけど)。
青鬼の見た目より、血のギミック演出等をしっかりしてる感じ。
ある意味「死」に対して、とても公平なのだが、惨殺シーンは殺される側が誰であるかに関わらず、非感情的に物のように殺す。殺す側の論理に従って殺していると言っていいだろう。
それはとてもリアルである。ただ、殺される側視点で考えると、会話シーンで不必要に濃いキャラの関係性をうたっていたにもかかわらず、誰が殺されても「誰かが殺された」という風にしか認識しないよう話を作りこんでしまったのは失敗に違いない。
「あの誰々君が好きだった誰々さんが殺された」というロジックは全く採用されず、「ともかく殺されてるのは誰々さんで、次は自分かもしれない」という恐怖心のみで全員が行動してしまう。リアルではあるけど、みんな青鬼以上にゆるふわで鬼畜じゃないか?

そして怒涛のように一気に流れ落ちるエンディング。これがやはり気持ちいい。
至高の絶望感が浸れてしまってたまらない。

割とどうでもいいゲーム「青鬼」を使って、元のゲームとは異なる世界観を「こっちの方が上等だろう」と叩き付けたヤンチャ振りも元がグダグダだから全然良いと思う(『Wの悲劇』かよ!)。


【銭】
番組特別価格1200円均一。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
青鬼 THE ANIMATION@ぴあ映画生活
▼関連記事。
青鬼@死屍累々映画日記
青鬼ver2.0@死屍累々映画日記
青鬼 THE ANIMATION(一回目)@死屍累々映画日記

PS 東宝さんがシネコンの全力をあげて推してるのはわかるけど、
 「青鬼」のお客に「La La Land」の予告を見せなくてもいいんじゃないかと思う。
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