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ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『はじまりへの旅』『マギーズ・プラン』をギンレイホールで観て、『昼顔』をトーホーシネマズ日本橋8で観て、くっっけて思うこと★★★★,★★★,★★★

◆『はじまりへの旅』

▲父ちゃんと子供達

五つ星評価で【★★★★父ちゃんと子供たちに自然に感情移入】
森の中で独自に生活しているベンと六人の子供。
子供達の母親が死に、彼等は初めて葬儀の為に森の外へと旅に出る。

父親のベンが文明を捨てた超人であり、
そのベンが教育した六人の子供が同じように全て超人として育っている。
但し、社会との関わりはないので、みながミニ・ベンであり、非常識でもある。

観客に突きつけられるのは、ベンが正解か、周りの文明社会(アメリカ)が正解か。
おそらく、これはどちらでもなく、「帯に短し襷に長し」状態。
理屈としてはベンの教育は正しいが、この生活しか許されないのは多様性に欠ける。
仮に森でベンが事故死したら、子供達はそのまま自活して生きていけるかもしれない。
ただ、それが幸せな事であるかどうかは分からない
(祖父に引き取られて文明社会で暮らすのが幸せかも分からない)。
ベンの長男が言ったように彼等は「本の知識しか持っていないフリークス(畸形)」なのだ。

観客はベン達に感情移入する。
やはり、故人の思いを無視する葬式には賛同できない。
但し、葬式が故人第一優先でなく、残された家族のための物だというのであれば、
あの故人が求めなかった葬式も価値がないとは言いきれない。
やはり、コミュニケーションが必要なのだ。
ベンも、ベンの妻の父親もコミュニケーションに重きを置かない。
「自分が正しい」との絶対の信念を持っている。それが不幸だ。

ベンは映画後半で信念の鼻っ柱を折られる。
超人から人間へ。落伍する事が幸せである事もある。
この映画のラストシーンはこれでいいのかどうかはっきり判断できなかった。
何通りものラストシーンが考えられるし、どう終わってもいいような気がした。
だから、多分ああ終わっても良かったのだ。

PS ベンの義理の父役を演じたフランク・ランジェラが「どうして」というくらい
 顔が怖かったよ。


◆『マギーズ・プラン』『昼顔』
五つ星評価で【★★★,★★★どちらも見た時にはそんなに刺さらなかったのだが、比べてみると面白い】
『昼顔』はドラマ未鑑賞。評判が良く、ドラマ見てなくても問題なく見れるという事なので見に行った。基本、予告で見た上戸彩の表情にグッと来てたと言うのがある。ただ、予告見てるだけでは「見るまでもないかなあ」という感じで、見終わった直後も「周りが褒めるほど自分には刺さらなかったなあ」という感じだった。
物語の骨格は(上戸彩+斉藤工 vs 伊藤歩)の三角関係で四角目と思われていた平山浩行はそんなに大きな「角」ではなかった。上戸彩なかなか綺麗で淋しげでいいじゃん。伊藤歩怖いじゃん。そして全てをなくした上戸彩のガタガタの身体表現もまるで生きていないかのように怖くて、ピンポイントで凄いものを見たなあという感じだった。斉藤工はこの映画だけ見てると、何でそんなに二人の女が取りあいになるのかがピンと来なかった。チンチンでもでかいのか(おいおい)。

▲いい距離感の二人。

さて、『マギーズ・プラン』も男一人、女二人の関係性の物語。主人公のマギーを演じるグレタ・ガーウィグは不倫関係からイーサン・ホークを略奪して結婚にまでこぎつけるが、夫イーサン・ホークと前妻ジュリアン・ムーアのビジネス関係はなかなか切れず、その弊害が夫婦の生活を圧迫したりもする。そしてグレタは思うようになる。実はイーサン・ホークとジュリアン・ムーアの夫婦こそベスト・カップルだったのではないか、と。グレタは二人の寄りを戻す計画を立ち上げ、実行に移していく(この計画が題名の「マギーズ・プラン」な訳だ)。

▲女の子がむっちゃ可愛い。

この二組の映画の骨子は似ている。

グレタ・ガーウィグ=上戸彩
イーサン・ホーク=斉藤工
ジュリアン・ムーア=伊藤歩

グレタ・上戸は愛の略奪者であり、イーサン・斉藤をジュリアン・伊藤から奪う。
イーサン・斉藤はジュリアン・伊藤から逃げ出した訳ではなく、彼等なりに仲良しだ。
グレタ・上戸はイーサン・斉藤と最も親しい存在に登りつめたが、
実はイーサン・斉藤の資質をもっともよく理解しているのはジュリアン・伊藤である。

この二本の映画のもっとも大きな違いは「愛の独占」可否である。
上戸彩および伊藤歩は斉藤工を独占していなければ気が済まない。
ジュリアン・ムーアはおそらく常人並であろうが、
グレタ・ガーウィグは愛を独占する事よりも共同体全体の幸運を優先させてしまう。
一般的な一夫一婦制社会ではこれはとても特異な考え方ではないだろうか。
でも、上戸彩と斉藤工がセックスレスの付き合いでも「よし」と出来るなら、
三者相立つ生活の方法はありそうにも見える。
問題なのはそれぞれが相争ってしまった過去のしがらみだけだろう。

なので、この映画の中でもっとも罪深い行動を発動させてしまうのは上戸彩である。
かって伊藤歩が自分に突き付けた愛の独占を、
自分たち二人は伊藤歩のいない所で破っておきながら、
優位に立った上戸彩は伊藤歩に愛は自分一人が独占すると宣告する。
「敗者には何もやるな」という訳である。
上戸彩が伊藤歩にグレタ・ガーウィグほどではなくても譲歩していたら
結末は違っていただろう(ドコーンと駄作に落ちてたっぽい気もするが)。

そして、この映画のラスト、一筋の光明のように挿し込むある事実が、
愛を独占する事に関してはモンスターと化した上戸彩によって告げられる時、
普通ならそれは僥倖であるが、何かしら幸せの空気を感じづらく思えるのは私だけだろうか。


【銭】
ギンレイホール、会員証で入場。『はじまりへの旅』&『マギーズ・プラン』で一番組。
『昼顔』はトーホーシネマズカードのポイント6ポイントを使って無料入場。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
はじまりへの旅@ぴあ映画生活
マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ@ぴあ映画生活
昼顔@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
はじまりへの旅@映画的・絵画的・音楽的
マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ@映画的・絵画的・音楽的
昼顔@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
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