『青くて痛くて脆い』トーホーシネマズ上野4(ネタバレ)
- Date
- 2020/09/16/Wed 01:46
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『青くて痛くて脆い』トーホーシネマズ上野4(ネタバレ)

▲仲良しだった時代の二人。
※ ネタバレ、もしくはそれを暗示する内容を含みます。
五つ星評価で【★★★★ホモじゃないけど吉沢亮くんが良い】
『君の膵臓をたべたい』の作者による表裏一体の作品。どちらも活発な少女と自己の殻に閉じこもりがちな少年が一定期間、一緒に同じ時刻を過ごす。それによって、元々全然、別の人間である二人が分かりあい、全く同じ人間であるかのように呼応しあう関係になるのが『君の膵臓をたべたい』。そんな良好な関係にはなりえず、彼氏彼女はそれぞれ別の人間であり、別の人間であるからこそ、分かりあう為にぶつかり合わなければいけないのだとの結論に達するのが『青くて痛くて脆い』。前者はある意味「そういう事があったらステキだね」というファンタジーであり、後者はリアリスティックな寓話である。
主役の二人がとても良い。
人の善性を信じてやまない杉咲花。彼女が笑うとスクリーンの温度が上がる。
自分をよく知っており、常に痛みから目を背ける事をしている吉沢亮。吉沢亮、あんな整った顔をしていながら、いつも目が何かに脅えている。大した演技力である。彼は途中に出てくる社会からスポイルされた女子高生森七菜同様「役立たず」なのであるが、偶然それがばれるような局面に立たされていない事でそれが露呈せずにいる。
この二人が立ちあげた世界を変える秘密結社モアイが、彼女の死をきっかけに変節してしまい、彼がその変節した秘密結社をどうにかして社会から葬り去ろうと企むというのが粗筋である。彼の計画は功を奏し、モアイは葬り去られる。
物語の後半で彼は彼女の亡霊と対峙する。
彼は彼女にその出会いを責め立てる。
「僕じゃなくても誰でもよかったんだろう」
「ち」
彼女は「違う」と言えない。言葉が詰まる。彼である必要は全くなかった。もう、ここでドッと刺された。だって、俺もクズだし、カスだし、自己主張が苦手な内弁慶だもの。心あるカスはみなここで刺される。みんな自分だけは特別と思い込みたいが、自分だけが特別である筈もない事を知っている。
彼女の亡霊は彼に問いかける。
彼等のモアイの目指す先が違ってしまったのなら、そう言えばよかったのだ。機会はいくらでもあった。変える事は出来たし、変えていれば自分だって死にはしなかっただろう。そんな事は言ってくれなければ分からない。
そんなの言えるかボケ。
彼は言えない。あんなに長く過ごしているにもかかわらず、彼が言えない事自体を彼女が思いも寄らないという事自体が、彼女が彼を考えてない証拠である。それすら言えない。その閉じた迷宮ぶりにグサグサ刺される。彼は彼女に対峙すれば対峙するだけ、劣位に立ち、刺され続ける。そして、それは恐ろしい事にどちらが悪いと言う訳ではないのだ。ただ、そうなってしまうという事が決まっているだけで。
結果、亡霊の彼女は「暴力なんてみんなが暴力がイヤと言えばなくなるでしょう」という大学の教授に突き付けていた質問の回答を自分の体験で受け取る事になる。暴力は誰もがイヤだが、その暴力への道筋を照らしてしまったのは彼女なのだ。
女子高生森七菜を教室に戻そうと施設に学校の先生である光石研がやって来る。森七菜はパニックになり、大騒ぎになってしまう。実は、この光石研が杉咲花の成長した姿なのではないかと勘ぐっている。外見的に微妙だから、あまりそうは見えないが、光石研にも悪意はないだろう。彼が森七菜を教室に戻したいのは単に善意であると考えたい。ただ、それを望む事とは別に戦略をちゃんと立てて進むべきなのだ。戦略を立てずに闇雲に正義を遂行する所に「暴力」や「戦争」が発生する。
杉咲花にとっての「モアイ」は「模擬・出会い」を縮めた言葉で、
吉沢亮にとっての「モアイ」は「模擬・愛情」を縮めた言葉ってのでどうでしょう。
【銭】
トーホーシネマズソの有料入場ポイント6ポイントを使って無料鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・青くて痛くて脆い@ぴあ映画生活

▲仲良しだった時代の二人。
※ ネタバレ、もしくはそれを暗示する内容を含みます。
五つ星評価で【★★★★ホモじゃないけど吉沢亮くんが良い】
『君の膵臓をたべたい』の作者による表裏一体の作品。どちらも活発な少女と自己の殻に閉じこもりがちな少年が一定期間、一緒に同じ時刻を過ごす。それによって、元々全然、別の人間である二人が分かりあい、全く同じ人間であるかのように呼応しあう関係になるのが『君の膵臓をたべたい』。そんな良好な関係にはなりえず、彼氏彼女はそれぞれ別の人間であり、別の人間であるからこそ、分かりあう為にぶつかり合わなければいけないのだとの結論に達するのが『青くて痛くて脆い』。前者はある意味「そういう事があったらステキだね」というファンタジーであり、後者はリアリスティックな寓話である。
主役の二人がとても良い。
人の善性を信じてやまない杉咲花。彼女が笑うとスクリーンの温度が上がる。
自分をよく知っており、常に痛みから目を背ける事をしている吉沢亮。吉沢亮、あんな整った顔をしていながら、いつも目が何かに脅えている。大した演技力である。彼は途中に出てくる社会からスポイルされた女子高生森七菜同様「役立たず」なのであるが、偶然それがばれるような局面に立たされていない事でそれが露呈せずにいる。
この二人が立ちあげた世界を変える秘密結社モアイが、彼女の死をきっかけに変節してしまい、彼がその変節した秘密結社をどうにかして社会から葬り去ろうと企むというのが粗筋である。彼の計画は功を奏し、モアイは葬り去られる。
物語の後半で彼は彼女の亡霊と対峙する。
彼は彼女にその出会いを責め立てる。
「僕じゃなくても誰でもよかったんだろう」
「ち」
彼女は「違う」と言えない。言葉が詰まる。彼である必要は全くなかった。もう、ここでドッと刺された。だって、俺もクズだし、カスだし、自己主張が苦手な内弁慶だもの。心あるカスはみなここで刺される。みんな自分だけは特別と思い込みたいが、自分だけが特別である筈もない事を知っている。
彼女の亡霊は彼に問いかける。
彼等のモアイの目指す先が違ってしまったのなら、そう言えばよかったのだ。機会はいくらでもあった。変える事は出来たし、変えていれば自分だって死にはしなかっただろう。そんな事は言ってくれなければ分からない。
そんなの言えるかボケ。
彼は言えない。あんなに長く過ごしているにもかかわらず、彼が言えない事自体を彼女が思いも寄らないという事自体が、彼女が彼を考えてない証拠である。それすら言えない。その閉じた迷宮ぶりにグサグサ刺される。彼は彼女に対峙すれば対峙するだけ、劣位に立ち、刺され続ける。そして、それは恐ろしい事にどちらが悪いと言う訳ではないのだ。ただ、そうなってしまうという事が決まっているだけで。
結果、亡霊の彼女は「暴力なんてみんなが暴力がイヤと言えばなくなるでしょう」という大学の教授に突き付けていた質問の回答を自分の体験で受け取る事になる。暴力は誰もがイヤだが、その暴力への道筋を照らしてしまったのは彼女なのだ。
女子高生森七菜を教室に戻そうと施設に学校の先生である光石研がやって来る。森七菜はパニックになり、大騒ぎになってしまう。実は、この光石研が杉咲花の成長した姿なのではないかと勘ぐっている。外見的に微妙だから、あまりそうは見えないが、光石研にも悪意はないだろう。彼が森七菜を教室に戻したいのは単に善意であると考えたい。ただ、それを望む事とは別に戦略をちゃんと立てて進むべきなのだ。戦略を立てずに闇雲に正義を遂行する所に「暴力」や「戦争」が発生する。
杉咲花にとっての「モアイ」は「模擬・出会い」を縮めた言葉で、
吉沢亮にとっての「モアイ」は「模擬・愛情」を縮めた言葉ってのでどうでしょう。
【銭】
トーホーシネマズソの有料入場ポイント6ポイントを使って無料鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・青くて痛くて脆い@ぴあ映画生活
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