『空に住む』新宿ピカデリー4
- Date
- 2020/10/31/Sat 00:09
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『空に住む』新宿ピカデリー4

▲多部ちやんっぽい画像。
五つ星評価で【★★★娯楽映画のような顔をしていながら娯楽映画としては刺さってこない。それがきっと強く好きになれない理由だ】
見ていてちょっとタイトルに引き摺られすぎたか、と思った。そんなに「空」を意識した話ではなかったかもしれない。
両親の急死により、愛猫とタワーマンションに住む事になった多部未華子が新しい生活を構築して行く姿を丁寧に描写する。
『空に住む』事により変わっていく様を活写し、人は大地に根差して生きていくものである、と説教入るかと思ったのだが、そもそも彼女の下界での暮らしようがそんなに平均的な物ではなかったので単純比較しかねるのだった。おそらく、『空に住む』事により彼女に変化があった事は間違いないが、それはマイナスだけではなく、プラスもあっただろう。そして、『空に住む』事自体はある致命的な一点を除けば、地上に住むのと大きく変わらない。
多部未華子、相変わらず的確な演技力で主人公を熱演。ただ、彼女側の問題ではなく、脚本や演出と相まって、この主人公が纏う空気感は重苦しくて真面目で面白くない。彼女自身が手掛けている純文学のようだ。それはとても今っぽくない。彼女の勤めている出版社のようだ。それに、主人公の近くにいる後輩・岸井ゆきのが本当にデタラメで、こっちの方がおかしくてライトな物語の主人公としては似つかわしいかもしれない。
あと、男性モデルを演じる三代目J SOULの岩田剛典、彼と多部未華子の恋愛がどう繰り広げられるかと思いきや、繰り広げられないのだ。実はここが肝で、だから、この物語は気持ち良く快楽物質ドーパミンやエンドネフィンをドバドバ放出しない。映画の主人公は理由もなく負ける。そこに娯楽要素はなく、ただ辛い。忍び寄って来る近親者の死のように失恋をする。そこはもう「物語」の世界ではなく「現実」の領域だ。だから彼女はその業病のような失恋をしっかり論理的に把握しなければならない。把握して乗り越えなければならない。見ている時はピンと来なかったが、その彼女を踏みにじった「岩田剛典の哲学(男性性)」を純文学作家により、リライトさせると言う。ここで、辛かったり恐ろしかったりする「現実」は、虚構の中で「ドラマ」として再生する。そういうシステムなのだろう。いいのか、そんな個人的な事の為に「文学」というシステムを使って。だから、大森南朋が書く新作は「売りがある」が、いいか悪いかはバクチみたいなもんだろう。但し、多部未華子演じる主人公が一般的で「取るに足らない小人物」であればあるほど、その大森南朋の新作は人の胸を打つ可能性が高まる。だから、多部未華子の主人公があまり気持ち良い情動を観客に与えなくても観客は耐えなければいけない。その情動は大森南朋の新作を読んだ読者が味わう糧なのだから。そこで、又、気づく。「現実」世界においてお金を払ってるのは観客である私なのだから、もう少し「大森南朋の新作を読んだ読者」がつまらなくてもいいのではないか、と。一応、そういう意見の為の二番手として岸井ゆきのが存在し、続編が出来たら、彼女が物語を乗っ取って好き放題な活躍を進めるのかもしれない。でもまあ、私は単純に多部ちゃんが恋に一喜一憂しながら最後にハッピーエンドで終わるようなラノベみたいな話の方が見たい堕落した観客なのだよ。だから、純文学(っぽい映画)には星を三つまでしかやらん。この星の多い少ないは作品の善し悪しではなく好き嫌いだから。
構造的には「多部未華子と岩田剛典」のパーツの方が大事なのだが、映画的には本当に出番の少ない「多部未華子と柄本明」、「多部未華子と永瀬正敏」のパーツに目を奪われる。まあ、そこが理屈ではなく、感情的だからだろうなあ。そんな大事なパートにちゃんといい役者を投入してるなあ。
あー難物だった。こんなに長い感想を書く気はなかった。つまらんと一言書いて終わる気がしていたのに。んー、でも映画として好きではないのよ。
【銭】
前回鑑賞割引にて1300円で鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・空に住む@ぴあ映画生活

▲多部ちやんっぽい画像。
五つ星評価で【★★★娯楽映画のような顔をしていながら娯楽映画としては刺さってこない。それがきっと強く好きになれない理由だ】
見ていてちょっとタイトルに引き摺られすぎたか、と思った。そんなに「空」を意識した話ではなかったかもしれない。
両親の急死により、愛猫とタワーマンションに住む事になった多部未華子が新しい生活を構築して行く姿を丁寧に描写する。
『空に住む』事により変わっていく様を活写し、人は大地に根差して生きていくものである、と説教入るかと思ったのだが、そもそも彼女の下界での暮らしようがそんなに平均的な物ではなかったので単純比較しかねるのだった。おそらく、『空に住む』事により彼女に変化があった事は間違いないが、それはマイナスだけではなく、プラスもあっただろう。そして、『空に住む』事自体はある致命的な一点を除けば、地上に住むのと大きく変わらない。
多部未華子、相変わらず的確な演技力で主人公を熱演。ただ、彼女側の問題ではなく、脚本や演出と相まって、この主人公が纏う空気感は重苦しくて真面目で面白くない。彼女自身が手掛けている純文学のようだ。それはとても今っぽくない。彼女の勤めている出版社のようだ。それに、主人公の近くにいる後輩・岸井ゆきのが本当にデタラメで、こっちの方がおかしくてライトな物語の主人公としては似つかわしいかもしれない。
あと、男性モデルを演じる三代目J SOULの岩田剛典、彼と多部未華子の恋愛がどう繰り広げられるかと思いきや、繰り広げられないのだ。実はここが肝で、だから、この物語は気持ち良く快楽物質ドーパミンやエンドネフィンをドバドバ放出しない。映画の主人公は理由もなく負ける。そこに娯楽要素はなく、ただ辛い。忍び寄って来る近親者の死のように失恋をする。そこはもう「物語」の世界ではなく「現実」の領域だ。だから彼女はその業病のような失恋をしっかり論理的に把握しなければならない。把握して乗り越えなければならない。見ている時はピンと来なかったが、その彼女を踏みにじった「岩田剛典の哲学(男性性)」を純文学作家により、リライトさせると言う。ここで、辛かったり恐ろしかったりする「現実」は、虚構の中で「ドラマ」として再生する。そういうシステムなのだろう。いいのか、そんな個人的な事の為に「文学」というシステムを使って。だから、大森南朋が書く新作は「売りがある」が、いいか悪いかはバクチみたいなもんだろう。但し、多部未華子演じる主人公が一般的で「取るに足らない小人物」であればあるほど、その大森南朋の新作は人の胸を打つ可能性が高まる。だから、多部未華子の主人公があまり気持ち良い情動を観客に与えなくても観客は耐えなければいけない。その情動は大森南朋の新作を読んだ読者が味わう糧なのだから。そこで、又、気づく。「現実」世界においてお金を払ってるのは観客である私なのだから、もう少し「大森南朋の新作を読んだ読者」がつまらなくてもいいのではないか、と。一応、そういう意見の為の二番手として岸井ゆきのが存在し、続編が出来たら、彼女が物語を乗っ取って好き放題な活躍を進めるのかもしれない。でもまあ、私は単純に多部ちゃんが恋に一喜一憂しながら最後にハッピーエンドで終わるようなラノベみたいな話の方が見たい堕落した観客なのだよ。だから、純文学(っぽい映画)には星を三つまでしかやらん。この星の多い少ないは作品の善し悪しではなく好き嫌いだから。
構造的には「多部未華子と岩田剛典」のパーツの方が大事なのだが、映画的には本当に出番の少ない「多部未華子と柄本明」、「多部未華子と永瀬正敏」のパーツに目を奪われる。まあ、そこが理屈ではなく、感情的だからだろうなあ。そんな大事なパートにちゃんといい役者を投入してるなあ。
あー難物だった。こんなに長い感想を書く気はなかった。つまらんと一言書いて終わる気がしていたのに。んー、でも映画として好きではないのよ。
【銭】
前回鑑賞割引にて1300円で鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・空に住む@ぴあ映画生活
スポンサーサイト