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ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『下郎の首(ネタバレ)』『唐手三四郎』シネマヴェーラ渋谷

特集「新東宝のディープな世界 アンコール&リクエスト」から2プログラム。

◆『下郎の首』シネマヴェーラ渋谷
五つ星評価で【★★バリバリすかっとしない】
1955年、白黒、98分、初見。

※ ネタバレ感想です。

主役が田崎潤なのでもちっと娯楽作品寄りかと思ったらさにあらず。ヴェーラのチラシ曰く「封建制度下の主従関係の残酷さや救い難さを通して、人間のエゴイズムと良心の葛藤という普遍的テーマに鋭く迫った伊藤大輔による傑作!」とあるのだが、私は明朗快活な一人だけ娯楽映画の田崎潤に引きずられて、それ以外の陰湿さとの対比が作り物っぽく見えてイヤだった。陰湿さのネチネチがとてもイヤだという意味では正しく映画にやられている訳だが、だから好きな人もいるかもしれないが、私は嫌い。
田崎潤がノイローゼ気味の仇討主人と正反対に割と何も気にかけず普通に生きているのだが、下郎な身分ゆえ畳の上に上がったりする事がなく、畳の上ですぐ足が痺れてしまうのをコミカル、かつ、ユーモラスに何回も重ねるので、「それはもういい」と苛立った。田崎潤に惚れるお妾さん(嵯峨三智子)も、田崎潤側なのに、田崎潤を苦しめる事ばかりやる。そして、主人(高田稔)すら彼を裏切る。
この主人と下郎の関係は主人が手足を斬り落とされた兜甲児で下郎がマジンガーZのよう。
主人(高田稔)は頭脳、下郎(田崎潤)は肉体。肉体は頭脳の為にとことん奉仕する。生活費を稼ぎ、仇を探し、期せずして仇を討ってさえしまう。この肉体は生命的な躍動に溢れているため、制度の象徴である刀を叩き付けられてもなかなか死に至らない。それは彼が制度の外の存在(=下郎)だからかもしれない。それゆえ、彼は最後に又、同じく制度の外の存在であった妾(嵯峨三智子)と手を結んで死んでいく。
主人(高田稔)は悩み抜いた挙句、肉体の死の現場に立ち寄る。彼は下郎と正反対に自分の自由になる身体を持たない。下郎の死を目の前にして、初めて彼の肉体(=下郎)の損失に気づく。そこで、彼は自分の失われた身体の為に初めて仇を打つ気概を見せる。だが、それは相手に受け入れられない。彼等にしてみれば本懐は遂げた後だし、主人を殺す価値を見出せない。相手に取っての主人は下郎にも満たない存在なのだ。全否定されて「完」。きびしー。


『空手三四郎』『唐手三四郎』シネマヴェーラ渋谷
五つ星評価で【★★★唐手フェチ・ファンタジー】
1951年、白黒、69分、初見。
1972年ジミー・ウォングの『片腕ドラゴン』より21年早く、片腕の格闘家を取りあげてた(って言っても主役じゃないが)。
中年以降の岡田英次はなんか大根っぽいと思っていたのだが、若い時はなかなかイケメンで、演技もシックリ来てる。カンフー映画が国内にやって来る前のカラテ映画であり、この時のカラテは沖縄からやってきた「沖縄唐手」で、主人公も沖縄人である。この時の沖縄はまだ外国(アメリカ)である。
吹き荒れる沖縄唐手の嵐。えーと、ケンカとか女争いに使っちゃいけんよ(映画の中にそんなシーンが多い)。
カンフー映画のようにスムーズな動きじゃないのはご愛敬。
昔、カラテの果たし合いで片手を失い、ダークサイドに落ちていった達人を月潟龍之介月形龍之介演じていて演技がかっけー。拳銃を持ちだしたヤクザに、拳銃が火を吹くより「俺の三角飛びが決まる方が先だ」と静かに恫喝するのかっけー。
※ 追記
髷が独特な沖縄女性が映画に収まってるの珍しい気がする。
そう言えば、この映画「三四郎」って名前の登場人物はいないのである。
主人公が漫才師「三四郎」の小宮だったらヤダな(誰にも勝てそうにないし)。



【銭】
一版1200-400(会員割引)
▼作品詳細などはこちらでいいかな
下郎の首@ぴあ映画生活
唐手三四郎@ぴあ映画生活
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