『BLUE GIANT』ヒューマントラストシネマ渋谷1
- Date
- 2023/03/28/Tue 10:13
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『BLUE GIANT』ヒューマントラストシネマ渋谷1

▲嘔吐。
五つ星評価で【★★★★音楽良すぎやろ】
今までジャズ関係の映画を見ても気持ちが揺さぶられる事がほぼ全くと言ってなかったので、自分はそんなにジャズに向いていないだろうと思っていたのだが、この映画に出会って他の観客ともどもそうではなさそうだという事に気づかされた。多分、今まではジャズの方が私を迎えに来ていなかった。そういう映画が多かった。それはジャズ以外の音楽映画に関しても同じで、「音に酔う」いや、「演奏に酔う」という経験をこと映画に関してはこの映画でほぼ初めてしたように感じる。
この映画同様に音に酔わされたのがジャズではないが、『アメリカン・ユートピア』。ブログで「音に蹂躙された」と書いている。不穏な発言であるが実に「たのしげな蹂躙」である。同じジャズで、演奏に酔ってあげたかった、その近くまで行きかけたのが『スゥイング・ガールズ』。今、爆音上映とかやったら、かなり乗れるかもしれない。
『ジャズ大名』みたいな飛び道具は別にして、『真夏の夜のジャズ』みたいな名演奏(らしい)映画で演奏に心を動かされないのは何故だろう。やはり、それは、名演奏ではあっても、記録としての名演奏であり、映画を見る観客の為に入念に用意された演奏ではないからかもしれない。そして、『アメリカン・ユートピア』は二回見ているが、二回目はそんなに楽しめていない。「二回目」だからと言うのもあるのかもしれないが、一回目は高音質劇場での爆音上映、二回目は通常劇場での通常上映。そういうのもあるかもしれない。今回の『BLUE GIANT』はオデッサというキチガイ音量音質システムの劇場でドバンと響かせてくれたから私はやられた。だから、できるだけ「音」を自慢している映画館で見てほしい。
しかし、この「音」の物語で素人を蹂躙するような「音」を付けたプロも凄いが、最初にこの物語を音のないマンガで表現したと言うのも頭がおかしい話だ。そういう意味で言うと『BECK』に近かったり遠かったり。マンガで至上の音として描かれたものを「表現不能」として無音で表現した映画。そういうやり方も全否定はしないが、チャレンジしない所に実はつかないというのが正論で、それが『BLUE GIANT』で示されてしまったように思える。
物語の核は三人の若者。さんざんレビューで言われているように、出来上がってる天才と、最初から叩き上げの素人と、壁にぶつかっている熟練者で、主人公には葛藤がない。と言うか、葛藤のあるパートはマンガにあるのだが、それは映画では切り取られていない。「みんな悩んで大きくなった」、野坂昭如かよ。ソクラテスもプラトンもいいジャズ・プレイヤーだったのかよ(それはそうじゃない)。という事で、主人公に葛藤はないが決意はある。最後のステージに立つ事だ。あれはメンタルの弱い主人公だったら10分20分、葛藤してもおかしくない。そこを葛藤せず決意して演奏するのは東北から来た田舎者二人のある意味、非デリケートなメンタルが物語として功を奏している。これがエンターティーメントではなく、純文学だったら大失敗して終わったりするかもだ。でも、エンターティーメントだから物凄く気持ちいい着地点で終わる。よかった、エンターティーメントで。やはり、努力や犠牲が報われるのがエンターティーメントだ。そう言えば元プリンスがプリンスだった頃の映画『パープル・レイン』で、ラスト近く渾身の魂を込めてプリンスさんが歌う「パープル・レイン」が観客の魂に刺さるのに、そのまま二三曲続けてしまい、感動が薄らぼけてしまったみたいな事を思い出した。難しいんだよ、エンターティーメントは。
演奏者3人のうち2人が東北出身者と言うのもプロの声優非使用に上手くはまったかもしれない。七色やら虹のような鮮やかな感情表現が必要ない。そう言えば「演奏」があるから惑わされるが、工場の旋盤工がただひたすら技術を磨く映画にそんなに違わないと言えば違わないかもだ。ただただ苦しい。なかなか光が見えない。ただ、工場の旋盤工がただひたすら技術を磨くエンターティーメントというのは今まで見た事ないのだけど。ジャズと違ってみんなに褒められない技術はエンターティーメント化が難しいのだな。秒で射精するオナニストとか。うわ、イヤな例えしちゃったよ。
小学館系だからやらないが、講談社系だったら、事故にあったピアニストが異世界転生してジャズの知識で勇者になっていくスピンオフとか作られるかもしれない(作られないだろう)。あー、でも、俺、バカだから「秒で射精するオナニスト」のマンガは誰かに書いてもらいたい。いや、『BLUE GIANT』のスピンオフじゃないよ。その流れに乗せちゃうと『青筋立った巨根伝説』みたいで、弁士中止。
星五つにしないのは演奏シーンで映像側に妙なノイズ表現が入るから。没入を誘うためにいろいろな表現を使うのはいいが、その落書きみたいなんはあかんやろ的なのはもうちょっとちゃんと取捨選択すべきだった。ドラッグとかきめて見るといいのか(おいおい)。
ジャズの天才で思い出した。超絶技巧の持ち主なのだが、演奏が内省的すぎて、その演奏で日銭を稼げない『エンドレス・ワルツ』なんて映画もあった。『BLUE GIANT』の主人公がそういう天才でなくてよかった。そういう天才だったら、最後の最後で観客からブーイングを浴びて終わるかもしれない。その破滅を癒すのはきっと「女」。そう言えば、みんな演奏ばっかしてて、恋とかしないのだな、この映画。楽器が友達。キャプテン翼かよ。マネージャーとか最初のファンが女性客だったり、グルーピーが来たり、ジャズだと物語として触れずに無視できる。その無視が映画だったり、アニメだったりだと気持ちがいい。停滞しないから。なんかなるほどなあ。これからは恋多き男よりオナニスト、俺の時代だ(多分そうではない。もしそうだとしてもイヤな時代だろう)
ちなみに私が一番好きなジャズは『星雲仮面マシンマン』のアクション・シーンの劇伴。あれはどこからどう聞いても立派なジャズで凄くスゥイングする。次点は『妖怪人間ベム(一番古い奴)』『月光仮面(アニメ)』『黄金バット(アニメ)』のオープニング群。あの辺も凄くウキウキする。
【銭】
テアトルの会員割引で1300円で鑑賞。
▼作品の概要はこの辺り見てください。
・BLUE GIANT@映画.com
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です
・BLUE GIANT@ノラネコの呑んで観るシネマ

▲嘔吐。
五つ星評価で【★★★★音楽良すぎやろ】
今までジャズ関係の映画を見ても気持ちが揺さぶられる事がほぼ全くと言ってなかったので、自分はそんなにジャズに向いていないだろうと思っていたのだが、この映画に出会って他の観客ともどもそうではなさそうだという事に気づかされた。多分、今まではジャズの方が私を迎えに来ていなかった。そういう映画が多かった。それはジャズ以外の音楽映画に関しても同じで、「音に酔う」いや、「演奏に酔う」という経験をこと映画に関してはこの映画でほぼ初めてしたように感じる。
この映画同様に音に酔わされたのがジャズではないが、『アメリカン・ユートピア』。ブログで「音に蹂躙された」と書いている。不穏な発言であるが実に「たのしげな蹂躙」である。同じジャズで、演奏に酔ってあげたかった、その近くまで行きかけたのが『スゥイング・ガールズ』。今、爆音上映とかやったら、かなり乗れるかもしれない。
『ジャズ大名』みたいな飛び道具は別にして、『真夏の夜のジャズ』みたいな名演奏(らしい)映画で演奏に心を動かされないのは何故だろう。やはり、それは、名演奏ではあっても、記録としての名演奏であり、映画を見る観客の為に入念に用意された演奏ではないからかもしれない。そして、『アメリカン・ユートピア』は二回見ているが、二回目はそんなに楽しめていない。「二回目」だからと言うのもあるのかもしれないが、一回目は高音質劇場での爆音上映、二回目は通常劇場での通常上映。そういうのもあるかもしれない。今回の『BLUE GIANT』はオデッサというキチガイ音量音質システムの劇場でドバンと響かせてくれたから私はやられた。だから、できるだけ「音」を自慢している映画館で見てほしい。
しかし、この「音」の物語で素人を蹂躙するような「音」を付けたプロも凄いが、最初にこの物語を音のないマンガで表現したと言うのも頭がおかしい話だ。そういう意味で言うと『BECK』に近かったり遠かったり。マンガで至上の音として描かれたものを「表現不能」として無音で表現した映画。そういうやり方も全否定はしないが、チャレンジしない所に実はつかないというのが正論で、それが『BLUE GIANT』で示されてしまったように思える。
物語の核は三人の若者。さんざんレビューで言われているように、出来上がってる天才と、最初から叩き上げの素人と、壁にぶつかっている熟練者で、主人公には葛藤がない。と言うか、葛藤のあるパートはマンガにあるのだが、それは映画では切り取られていない。「みんな悩んで大きくなった」、野坂昭如かよ。ソクラテスもプラトンもいいジャズ・プレイヤーだったのかよ(それはそうじゃない)。という事で、主人公に葛藤はないが決意はある。最後のステージに立つ事だ。あれはメンタルの弱い主人公だったら10分20分、葛藤してもおかしくない。そこを葛藤せず決意して演奏するのは東北から来た田舎者二人のある意味、非デリケートなメンタルが物語として功を奏している。これがエンターティーメントではなく、純文学だったら大失敗して終わったりするかもだ。でも、エンターティーメントだから物凄く気持ちいい着地点で終わる。よかった、エンターティーメントで。やはり、努力や犠牲が報われるのがエンターティーメントだ。そう言えば元プリンスがプリンスだった頃の映画『パープル・レイン』で、ラスト近く渾身の魂を込めてプリンスさんが歌う「パープル・レイン」が観客の魂に刺さるのに、そのまま二三曲続けてしまい、感動が薄らぼけてしまったみたいな事を思い出した。難しいんだよ、エンターティーメントは。
演奏者3人のうち2人が東北出身者と言うのもプロの声優非使用に上手くはまったかもしれない。七色やら虹のような鮮やかな感情表現が必要ない。そう言えば「演奏」があるから惑わされるが、工場の旋盤工がただひたすら技術を磨く映画にそんなに違わないと言えば違わないかもだ。ただただ苦しい。なかなか光が見えない。ただ、工場の旋盤工がただひたすら技術を磨くエンターティーメントというのは今まで見た事ないのだけど。ジャズと違ってみんなに褒められない技術はエンターティーメント化が難しいのだな。秒で射精するオナニストとか。うわ、イヤな例えしちゃったよ。
小学館系だからやらないが、講談社系だったら、事故にあったピアニストが異世界転生してジャズの知識で勇者になっていくスピンオフとか作られるかもしれない(作られないだろう)。あー、でも、俺、バカだから「秒で射精するオナニスト」のマンガは誰かに書いてもらいたい。いや、『BLUE GIANT』のスピンオフじゃないよ。その流れに乗せちゃうと『青筋立った巨根伝説』みたいで、弁士中止。
星五つにしないのは演奏シーンで映像側に妙なノイズ表現が入るから。没入を誘うためにいろいろな表現を使うのはいいが、その落書きみたいなんはあかんやろ的なのはもうちょっとちゃんと取捨選択すべきだった。ドラッグとかきめて見るといいのか(おいおい)。
ジャズの天才で思い出した。超絶技巧の持ち主なのだが、演奏が内省的すぎて、その演奏で日銭を稼げない『エンドレス・ワルツ』なんて映画もあった。『BLUE GIANT』の主人公がそういう天才でなくてよかった。そういう天才だったら、最後の最後で観客からブーイングを浴びて終わるかもしれない。その破滅を癒すのはきっと「女」。そう言えば、みんな演奏ばっかしてて、恋とかしないのだな、この映画。楽器が友達。キャプテン翼かよ。マネージャーとか最初のファンが女性客だったり、グルーピーが来たり、ジャズだと物語として触れずに無視できる。その無視が映画だったり、アニメだったりだと気持ちがいい。停滞しないから。なんかなるほどなあ。これからは恋多き男よりオナニスト、俺の時代だ(多分そうではない。もしそうだとしてもイヤな時代だろう)
ちなみに私が一番好きなジャズは『星雲仮面マシンマン』のアクション・シーンの劇伴。あれはどこからどう聞いても立派なジャズで凄くスゥイングする。次点は『妖怪人間ベム(一番古い奴)』『月光仮面(アニメ)』『黄金バット(アニメ)』のオープニング群。あの辺も凄くウキウキする。
【銭】
テアトルの会員割引で1300円で鑑賞。
▼作品の概要はこの辺り見てください。
・BLUE GIANT@映画.com
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です
・BLUE GIANT@ノラネコの呑んで観るシネマ
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