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ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『カッコーの巣の上で』をトーホーシネマズ六本木1で観て、相変わらずの大傑作やねふじき★★★★★

五つ星評価で【★★★★★相変わらずの大傑作】

二回目である。
二回しか観てない。
基本、劇場でしか映画を観ないので鑑賞機会が少ないというのもあるが、
一回観ると物凄いボディーブローでお腹いっぱいになる、みたいな感じでもある。
一回観ると10年から20年効くみたいな。

舞台は精神病院。
いいぞいいぞ。映画には狂人が良く似合うのだ。
そこに訪れる怒りっぽい小悪党ジャック・ニコルソン。
ちょっと怒りっぽいが、常人である。体験入院みたいなシチュエーションだ。
このジャック・ニコルソンは一番ジャック・ニコルソンらしいと思う。
別にジャック・ニコルソンと付き合ったりキスしたりしたことはないけど。
実にジャック・ニコルソンニコルソンしてるのだ。
その病院に鎮座するザ・システム、ルイーズ・フレッチャー。
いいよ。怖いよ。外見じゃないよ。悪玉が強固であればあるほど映画は輝くよ。

婦長のルイーズ・フレッチャーの何も変わらない所が怖い。
つまり、そこで行われる事は全て「業務」なのだ。
業務は患者が良くなるために行われている、ベクトルはそちらに向いている、
にもかかわらず決定的にそこには心がない。
業務ゆえに、患者が病もうが死のうが、いつも通り続けられなければならない。
病気が増す、死ぬなどということは統計上の数字でしかない。
婦長の彼女が対峙してるのは「人」ではなく「物」にすぎない。
だから、殊更に「人」が強調されるジャック・ニコルソンと衝突する。

終盤、ニコルソンが「人」から「物」に失墜した時、
今まで「物」であったチーフがニコルソンを「物」から解放し、
まだ「人」であったニコルソンが語った夢物語の方法で自らを「人」に解放する。
これが泣かずにいられようか。

映画はそこで終わり、その先の栄光や残酷な未来は語られない。
映画には区切りがあり、全てに対しての答は与えられない。
まるで、この後はあなたたちの人生で答を出すのですよ、と言わんばかりだ。

チーフは上背があるサモハン・キンポーみたいだ。
何気にダニー・デ・ヴィートやクリストファー・ロイドが出てる。

婦長にくっついてる黒人の看護婦さんがちょっといい感じなのだけど、
本当に添え物みたいな感じで話に何も噛んでこない。ちっ。

婦長が風俗にいたら怖いな。
「こう、こうすればいいの。ずっとここで何十年もこうしてるんだから」
ゴシゴシゴシゴシ(火)
「ギャー」


【銭】
1000円均一料金

▼作品詳細などはこちらでいいかな
カッコーの巣の上で@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
カッコーの巣の上で@迷宮映画館
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