ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『劇場版 稲川怪談 かたりべ』を渋谷TOEI②で観て、新宿ピカデリー4で観直して、結局あかんねんふじき★★(ネタバレ)

初春のあまり記憶にない映画の感想をボコボコつぶしてく祭り(2014年の鑑賞作品を潰していくぞ)。

五つ星評価で【★★その理屈に恐怖は着いてこない】  

一回目は最低と思ったが、
評価してる人もいたので、再度見直してみた。
意外にちゃんと作ってる部分なども確認できたか、でも、好きではない。

観てない人はスルーしてください。

これが怖くないのは基本設定が恐怖に結び付きづらいからだ。
意思を持った怪談が出演者を襲う。
私は「意思を持った怪談」という物を見た事がないし、聞いた事もない。
未知の存在である。
未知の存在が恐怖たりえる事もある。
ただ、未知でありさえすれば何でも恐怖という訳でもないのだ。
「意思を持った怪談」が恐ろしいなら
「意思を持った連立方程式」だって怖いだろう。
正解を解こうとすると死に至る連立方程式。
人はあまりにもありえそうにない物に対して恐怖を抱く事ができない。
仮に「意思を持った連立方程式」に対して恐怖を抱かせたいのなら、
絡め手を使って説得力を持たせ「あまりにもありえない」という条件を
一度、外してやらなければならない。
例えば、人類を人類たらしめた聖書の神による戒律は
その原聖書が全て数字の暗号で記載されており、
神を表す聖なる数字の解を得ようとする者には、
生物としてのリミッターが用意されており急死する、みたいな、
謎を明らかになるプロセスを用意してやる
(「恐怖」というよりは「SF」化するな)。

この映画にはこの努力が欠けている。
普通に信じる事の出来ない「意思を持った怪談」が、
どういう力で、どういう人間に対して、
どれくらいの危害を加えようとするのかも分からないし、
そもそも、その「意思を持った怪談」と、
それを牽引する「稲川淳二」との関係性や、優劣関係も明確ではない。
難しいのは、そういう事象を論理的に全て規定してしまう事が、
恐怖を弱める状態を引き起こす事になる例も多いのだ。
恐怖は原初的な感情であり、論理的な理屈ではない。
逆に、恐怖を克服するために、論理的な理屈を組み立てる事すらある。
論理的な理屈により、恐怖の正体が明確になるなら、
恐怖はその力を1減じるのだ。
それでも綱渡りではあるが、「意思を持った怪談」が
被害者に与える災厄のルールくらいの提示は必要だ。

怖がる者達に、やみくもにずっと叫ばせても意味がない。
叫ぶだけの理由を元に叫ばせるべきなのだ。

「意思を持った怪談」なんていう、
嘘っぽいものをメインに引っ張ってきたのが、そもそもの失敗だろう。

稲川淳二に怪談を語らせ、
語らせる中で、特定の条件が揃った時のみ、
稲川淳二の怪談が異界との橋渡しになる。
その際、稲川淳二はトランス状態になって意識がなくなる。

程度の設定で、よかっただろう。

とは言え、稲川淳二が善人的な仮面を脱ぎ棄てて、激昂する場面は見物。



【銭】
チケット屋で1000円と850円で前売券GET。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
劇場版 稲川怪談 かたりべ@ぴあ映画生活
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