ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『イーダ』をギンレイホールで観て、飯田橋だからいいだを見るのだふじき★★(ネタバレあり)

五つ星評価で【★★宗教感覚が違うって事だろうけど、日本人だからそんなんは親身になって考えられへん】

うつらうつらした。
修道女のアンナは彼女が実はイーダという名前でユダヤ人である事を知らされる。

これは宗教的な物語なのだろう。だから、宗教が生活に根差していない日本では何かピンと来ない。彼女の父母はユダヤ人狩りで殺された事が分かる。幼い彼女はその幼さゆえ(また割礼などのユダヤ人の外的特徴がなかったため)命を救われ、教会に身を預けられていたのだ。宗教対立がそうさせた訳ではないが、彼女から父母を奪った人間は当然、キリスト教徒だったろう。つまり、彼女は新しい神の信徒によって自己を剥奪され、新しい神の信徒に新たに迎え入れられたのだ。

イーダという名前を剥奪され、アンナという名前を新たに付けられる。
ウィキペディアによれば、「イーダ」は「労働」を語源とし、「アンナ」は「恩恵」を語源とする。旧教の神の僕として働く信徒を新教が恩恵により信徒として迎え入れる、というのは皮肉に満ちた解釈か。また「アンナ」という名前は「聖母マリア」の母の名前でもある。実は「聖母マリア」の処女懐胎同様、「アンナ」も処女懐胎したという説があったが、これはカトリック教会により後に正式に否定された。映画のアンナは戒律を犯し、音楽家と一夜を共にする事で、彼女の人生のバックボーンから逃げようとした。彼女は映画のラストシーンで修道院に戻るのだが、それは彼女が「聖母マリアの母のアンナ」同様、処女懐胎し、それが教会によって否定されるという未来を暗喩しているのかもしれない。いや、多分、それは言葉遊びをやりすぎた上での考えすぎだ。


【銭】
ギンレイホール、会員証で入場。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
イーダ@ぴあ映画生活

PS イーダの女優さん、ちょっとケビン・ベーコンに顔が似てる。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://fjk78dead.blog.fc2.com/tb.php/4320-ef1af426
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad