ふじき78の死屍累々映画日記・第二章

場末にひっそり咲く映画日記。第一章にあたる無印はライブドアブログ

『天才バカヴォン 蘇るフランダースの犬』を新宿バルト9-2で観て、改革案としてこんなのどやふじき★★★(ネタバレあり)

五つ星評価で【★★★FROGMANの長編は割と山場設定が適当なのでもっと退屈すると覚悟していたら思った以上に善戦。でも、あの話の閉じ方はいけない】

赤塚不二夫先生にせよ、藤子不二雄先生にせよ、もう少し味はまろやかである。
まあ、藤子不二雄先生は今回関係ないのだけど。
なんか赤塚マンガの「ナンセンス」だけ抽出して、
FROGMAN仕様に加工して、そのどぎつい原色そのままに
「ナンセンスです。これナンセンスです。どうですナンセンスでしょう」
と無理やりお客を納得させようとした風に見える。

「ナンセンス」とは意味をなさない。ばかげているさま。
主人公のバカボンのパパの存在そのものが「ナンセンス」として機能するので、
映画全体はちゃんと「ナンセンス」が描かれたものとして成立する。
だが、ナンセンスが際立つためには、
対立する「意味をなしている」「ばかげていない」物らが
しっかり描かれていないといけない。
この辺、赤塚マンガではバカボンのパパ以外は世界の常識にのっとった存在だ。
目ん玉つながりの警察官やウナギイヌなどは非常識な存在ではあるが、
世界そのものの原理と真っ向から対立しているかのようなパパに比べれば
相対的にはおとなしい存在だ。
映画はこの対立する普通がフラフラしている。
世界的な犯罪結社や怪物化するネロが悪いと言っているのではない。
突飛な設定であっても、その世界の中で突飛に見えないように表現すれば
それはその世界の常識にのっとった存在に収まる。

収まりが悪いのは次の二点。
・FROGMAN特有のFLASHアニメ画風で赤塚キャラ以外のキャラクターが
 適当に描かれていること。この適当な作画が世界の輪郭を不明瞭にしている。
 世界の規範その物が大きく揺らいでしまうのだ。
 FROGMANと赤塚不二夫の世界観が喧嘩をしていると言ってもいい。
・「太陽が西からのぼる」
 言わずと知れたTVアニメ主題歌の名フレーズ。
 今回、このフレーズをパパが努力したから成し遂げた事にしてしまった。
 それはありえない。そんなお伽噺展開は認めがたい。
 だって、それはドラキュラがラスト日光を浴びても灰にならずに
 「乗り切りました」って言っちゃうようなものだ。
 伏線でも貼ってあるならまだしも、物理法則を覆してはいけない。

という事で、ラスト近辺はこういう風にすればいいのじゃないかと思う。

バカボンを人質に取られたパパは遂に本名を敵にあかしてしまう。
敵「はっはっは、これで我々のコンピューターは全能だ」
バカボンのパパ「本当か?とてもそんな事は信じられないのだ。
 もし、それが本当なら太陽を西から登らせてみるのだ」
 いろいろやったすえ西から昇る太陽
バカボンのパパ「すごいのだ。コンピューターの君は実によくやったのだ。
 本当は万能じゃないのに」
コンピューター「?」
バカボンのパパ「さっきのわしの名前は本当はウソなのだ」
コンピューター爆発

こんな流れの方が全然、自然だろう。


【銭】
東映の株主権を常設ダフ屋で500円でレンタル。

▼作品詳細などはこちらでいいかな
天才バカヴォン~蘇るフランダースの犬~@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
天才バカヴォン~蘇るフランダースの犬~@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
天才バカヴォン~蘇るフランダースの犬~@流浪の狂人ブログ

PS そう言えば筋少の歌で「これでいいのだ」というのがあったな。
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