トルコの船の沈没に際して自らをかえりみず救助に当たった村人の話+
日本政府が見捨てたイラン在住の日本人をやはり身の危険をかえりみず
救助してくれたトルコ国民の話。
日本編+95年後のトルコ編から成る訳だが、
チラシのコピーに付いている
「なぜ、あの時、トルコは日本を助けてくれたのか。」は
映画上ではニュアンスが違う。
映画を見ると、二つの救出劇に関連性はない。
「95年前に助けてもらったから」というお返しの話ではない。
では、何故この話がワンパックなのかと言うと、日本の貧しい漁民たちの「ほっておけば死んでしまう人を見捨てては置けない」という人間らしさと、トルコ首相と国民の「助けられない者を助けるのは我が国の伝統である」という人間らしさが一致するからだ。民族の違いより人間の命を優先した話だからだ。多分、そうする方が両国ともども抵抗なく見れるようになるから、そうしたのではないかと思っている。
実際は「お返し」のニュアンスはあったらしいが、逆だったら95年も前のお返しを日本はしないと思うのですよ。なんて粘着質な!いや、なんて義理堅い。敵とストーカーにはしたくない相手だ。実際、トルコは親日国家で知られるが、トルコ町中でのアジア人差別はひどいらしい(理由なしに投石されたりするらしい)ので、トルコに行って裏切られたと思う人は多いらしい。複雑。
映画は船の遭難をダイナミックに描き、
その後、パニック状態でともかく人海戦術で救助しまくる救出劇が素晴らしい。目を奪われる。ただダイナミックな救出劇の後はあっさり遭難者が自国に引き上げてしまい、文化的な摩擦などがほぼ起きなかったのが話としては残念だった。そういう点では第二次大戦終戦後イギリス機が日本に不時着したことによる救出劇『飛べダコタ』の方が起こる軋轢が多く、面白い。
笹野高史の村長が「こりゃあ大惨事じゃあ」と言うと本当に大惨事になっていく。
いやあ、笹野高史、名演だなあ。
忽那汐里は顔立ちがオリエンタルなので、こういう合作に向くと思う。
最初の海難救助シーンだけ、もう一回観たいなあ。
【銭】
トーホーシネマのメンバー優待週間に見に行ったので1100円。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・海難1890@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・海難1890@映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評
・海難1890@yukarinの映画鑑賞ぷらす日記
PS 太陽と月のオブジェ(鎧飾り)見て、ザンボット3を思い出す。
PS2 言葉が喋れない忽那汐里を見て『レインツリーの国』の
「スケベ親父を呼んで来い」と思った。
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