『リアリティのダンス』『エンドレス・ポエトリー』早稲田松竹
- Date
- 2018/06/04/Mon 00:46
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
名画座企画「マジカル・ホドロフスキー・ツアー2018」。
『リアリティのダンス』がつまらなかった為に二の足を踏んでいた『エンドレス・ポエトリー』なのだけど、二本一緒にやるという事なので『リアリティのダンス』の再検証がてら足を運んだ。いやあ、どっちもつまらんかった。ただ、つまらないのだけど、見た事自体は後悔してない。もう一回見る必要は感じないけど。
◆『リアリティのダンス』

▲「そうだ、私だ、マモー」
五つ星評価で【★★グダグダ】
二回目。初見時、ホドロフスキーであるのに、このつまらなさがどうにも信じられず、すぐもう一回見なおしたいと思ったのに怖気づいて回避してしまった。今回は面白かろうと、つまらなかろうと、それが何であるかを探る雪辱戦である。
結果、どうにもつまらない。『サンタ・サングレ』や『ホーリー・マウンテン』でも冗長な部分はそこそこあるのだが、非凡な絵心がその冗長さを捩じ伏せていた。今作はその絵心がゆっくり長い時間の中に拡散して、いいタイミングでバーンと出る衝撃効果が少なかった。スピード感が圧倒的に悪い。スピード感の欠如とホドロフスキー特有の絵作りに対する執着の弱さが映画を冗長にしている。一番の戦犯はホドロフスキー自身が得意満面に思っている少年の母の台詞を全てオペラのように歌わせて処理した事だろう。あれで、スピード感が削がれると同時に劇伴が台詞に引きずられて魅力を奪われてしまった。又、少年と少年の父の二人が主役なのだが、この二人が引き離されてそれぞれ別に展開する話が分かりづらい。
・オペラ方式導入によるテンポの悪化
・主役(父)のプンプン・キャラが不快。
・主役(息子)のメソメソ・キャラが不快。
・助演(母)の歌いセリフが不快。
・特に興味を引かれない分かりづらい物語。
起承転結のない悪い意味での唐突展開。
・不具者、ピエロなどのホドロフスキーの好きなアイコンに対するアプローチがおそろしく雑で、観客側からは好感が持ちづらい。意図的にそうしている風にも見えるが、何故そうしているかの意図が不明である。今になって、常識人である事のアピールでもないだろう。
・ホドロフスキー自身であり、彼の父の物語であるのだから、彼自身は複雑な愛着を持っていて、勿論この話を嫌いではないだろう。ただ、それを同じように観客が興味を持って受け入れるかどうかと言う事に対して彼は客観視すべきである。ホドロフスキーはそれを怠った。いや、許してもらえると信じたのか。それならそれで見通しが甘いと思う。これは会社創業百年に作られる「会社史」みたいな作品であり、その会社に関係しない人には、やはり面白くは見られない物語である。すんげえ他人事。
・「俺の父ちゃんこんな変な体験してて凄いだろ」という話であると同時に「その凄くて変な父ちゃんに追い込まれる可哀想な自分ヨヨヨ」という話である。でも、抵抗するでもなく、蹂躙されるがままの少年は可哀想とは思っても好きにはなれない。ホドロフスキー自身はこの可哀想な彼自身を観客に可哀想である事によって好きになってもらいたかったのかも知れないが。
そら、つまらんわなあ(個人の意見です)。
◆『エンドレス・ポエトリー』

▲エライコッチャ、エライコッチャ、踊らにゃソンソン
五つ星評価で【★★こっちもグダグダ】
初見。正々堂々『リアリティのダンス』の続編で、前作の終りからバッチリ続いて始まる。相変わらず、母ちゃんはオペラで、父ちゃんは激怒しまくりで、息子は過剰にメソメソしていて、頭っから気が滅入る。主役の息子に対するストレスがぐんぐん高まったて破裂して、家出した所から話は家族の話ではなく、ホドロフスキーの青年時代の話に移行する。ストレスに耐えるしかなかった少年時代と比較し、別種のストレスを与えられながらも徐々にストレスを跳ね返していく青年時代の物語の方がちょっとだけ楽に見れる。但し、奇跡的に話はつまらないまま進むのである。
青年期の話は「詩の心を持つ友人」がわんさかフリークスのように彼の周りを取り囲む。彼は家を出た途端、もう十年来の詩人のように評価されてしまうのだが、それがどうにも単に言葉遊びで誰にでもできるようにしか見えないので、説得力がない。
彼は童貞で、童貞を失い、愛や友情を作ったり、壊したりする。
彼を束縛する故国からフランス語も喋れないのに渡仏する所で話が終わる。仮にまだ続きが作られるなら舞台はフランスになるだろうが、この先は成功の気配しかないからあまり面白い展開はないのではないかと思われる(別にこの二作で面白い展開があった訳ではないが)。
やっぱり、ホドロフスキーが一足飛びで世間(チリ)に認知されてしまう辺りがつまらない。ホドロフスキー的には大人物である自分ちゃんがどうやって童貞を失ったかをみんなに知ってもらいたかったのかもしれないが、別にそれは知りたくない。余計なお世話である。グレート・カブキっぽい渡辺直美女はあの後、もうホドロフスキーの人生には出てこないのかしら? それも薄情だよなあ。うさちゃん百匹殺したホドロフスキーに深情け求めるのは間違えてるか。
『魁!!男塾』の直進行軍かよ!
(ここだけ異常に愉快だった)
ホドロフスキーが宮下あきら読んでたらおもろいなあ。
【銭】
通常料金1300円で鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・リアリティのダンス@ぴあ映画生活
・エンドレス・ポエトリー@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・リアリティのダンス@ノラネコの呑んで観るシネマ
・リアリティのダンス@映画のブログ
・エンドレス・ポエトリー@ノラネコの呑んで観るシネマ
▼関連記事。
・リアリティのダンス(一回目)@死屍累々映画日記・第二章
PS どちらの作品でも勃起してないペニスをモザイクやボカシなどの画像隠蔽処理をしなかったのは評価したい。チンチンを明らかにしたことしか評価しないのかよと言われそうだが、なんつっても私はデジタル・リマスタ版『エル・トポ』で幼稚園児みたいな少年のペニスにモザイクがかかった事を激怒したのだから。そんなんで興奮する訳ないだろ。いや、アナログ・フィルム版『エル・トポ』も見ているが少年のペニスは勃起していなかった筈だ。勃起の有無に関わらず興奮しねえよ。規制に激怒した。逆に大人のチンチンは汚いから(私感です)ボカシの一つも入れてくれてもよかった。
『リアリティのダンス』がつまらなかった為に二の足を踏んでいた『エンドレス・ポエトリー』なのだけど、二本一緒にやるという事なので『リアリティのダンス』の再検証がてら足を運んだ。いやあ、どっちもつまらんかった。ただ、つまらないのだけど、見た事自体は後悔してない。もう一回見る必要は感じないけど。
◆『リアリティのダンス』

▲「そうだ、私だ、マモー」
五つ星評価で【★★グダグダ】
二回目。初見時、ホドロフスキーであるのに、このつまらなさがどうにも信じられず、すぐもう一回見なおしたいと思ったのに怖気づいて回避してしまった。今回は面白かろうと、つまらなかろうと、それが何であるかを探る雪辱戦である。
結果、どうにもつまらない。『サンタ・サングレ』や『ホーリー・マウンテン』でも冗長な部分はそこそこあるのだが、非凡な絵心がその冗長さを捩じ伏せていた。今作はその絵心がゆっくり長い時間の中に拡散して、いいタイミングでバーンと出る衝撃効果が少なかった。スピード感が圧倒的に悪い。スピード感の欠如とホドロフスキー特有の絵作りに対する執着の弱さが映画を冗長にしている。一番の戦犯はホドロフスキー自身が得意満面に思っている少年の母の台詞を全てオペラのように歌わせて処理した事だろう。あれで、スピード感が削がれると同時に劇伴が台詞に引きずられて魅力を奪われてしまった。又、少年と少年の父の二人が主役なのだが、この二人が引き離されてそれぞれ別に展開する話が分かりづらい。
・オペラ方式導入によるテンポの悪化
・主役(父)のプンプン・キャラが不快。
・主役(息子)のメソメソ・キャラが不快。
・助演(母)の歌いセリフが不快。
・特に興味を引かれない分かりづらい物語。
起承転結のない悪い意味での唐突展開。
・不具者、ピエロなどのホドロフスキーの好きなアイコンに対するアプローチがおそろしく雑で、観客側からは好感が持ちづらい。意図的にそうしている風にも見えるが、何故そうしているかの意図が不明である。今になって、常識人である事のアピールでもないだろう。
・ホドロフスキー自身であり、彼の父の物語であるのだから、彼自身は複雑な愛着を持っていて、勿論この話を嫌いではないだろう。ただ、それを同じように観客が興味を持って受け入れるかどうかと言う事に対して彼は客観視すべきである。ホドロフスキーはそれを怠った。いや、許してもらえると信じたのか。それならそれで見通しが甘いと思う。これは会社創業百年に作られる「会社史」みたいな作品であり、その会社に関係しない人には、やはり面白くは見られない物語である。すんげえ他人事。
・「俺の父ちゃんこんな変な体験してて凄いだろ」という話であると同時に「その凄くて変な父ちゃんに追い込まれる可哀想な自分ヨヨヨ」という話である。でも、抵抗するでもなく、蹂躙されるがままの少年は可哀想とは思っても好きにはなれない。ホドロフスキー自身はこの可哀想な彼自身を観客に可哀想である事によって好きになってもらいたかったのかも知れないが。
そら、つまらんわなあ(個人の意見です)。
◆『エンドレス・ポエトリー』

▲エライコッチャ、エライコッチャ、踊らにゃソンソン
五つ星評価で【★★こっちもグダグダ】
初見。正々堂々『リアリティのダンス』の続編で、前作の終りからバッチリ続いて始まる。相変わらず、母ちゃんはオペラで、父ちゃんは激怒しまくりで、息子は過剰にメソメソしていて、頭っから気が滅入る。主役の息子に対するストレスがぐんぐん高まったて破裂して、家出した所から話は家族の話ではなく、ホドロフスキーの青年時代の話に移行する。ストレスに耐えるしかなかった少年時代と比較し、別種のストレスを与えられながらも徐々にストレスを跳ね返していく青年時代の物語の方がちょっとだけ楽に見れる。但し、奇跡的に話はつまらないまま進むのである。
青年期の話は「詩の心を持つ友人」がわんさかフリークスのように彼の周りを取り囲む。彼は家を出た途端、もう十年来の詩人のように評価されてしまうのだが、それがどうにも単に言葉遊びで誰にでもできるようにしか見えないので、説得力がない。
彼は童貞で、童貞を失い、愛や友情を作ったり、壊したりする。
彼を束縛する故国からフランス語も喋れないのに渡仏する所で話が終わる。仮にまだ続きが作られるなら舞台はフランスになるだろうが、この先は成功の気配しかないからあまり面白い展開はないのではないかと思われる(別にこの二作で面白い展開があった訳ではないが)。
やっぱり、ホドロフスキーが一足飛びで世間(チリ)に認知されてしまう辺りがつまらない。ホドロフスキー的には大人物である自分ちゃんがどうやって童貞を失ったかをみんなに知ってもらいたかったのかもしれないが、別にそれは知りたくない。余計なお世話である。グレート・カブキっぽい渡辺直美女はあの後、もうホドロフスキーの人生には出てこないのかしら? それも薄情だよなあ。うさちゃん百匹殺したホドロフスキーに深情け求めるのは間違えてるか。
『魁!!男塾』の直進行軍かよ!
(ここだけ異常に愉快だった)
ホドロフスキーが宮下あきら読んでたらおもろいなあ。
【銭】
通常料金1300円で鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・リアリティのダンス@ぴあ映画生活
・エンドレス・ポエトリー@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です。
・リアリティのダンス@ノラネコの呑んで観るシネマ
・リアリティのダンス@映画のブログ
・エンドレス・ポエトリー@ノラネコの呑んで観るシネマ
▼関連記事。
・リアリティのダンス(一回目)@死屍累々映画日記・第二章
PS どちらの作品でも勃起してないペニスをモザイクやボカシなどの画像隠蔽処理をしなかったのは評価したい。チンチンを明らかにしたことしか評価しないのかよと言われそうだが、なんつっても私はデジタル・リマスタ版『エル・トポ』で幼稚園児みたいな少年のペニスにモザイクがかかった事を激怒したのだから。そんなんで興奮する訳ないだろ。いや、アナログ・フィルム版『エル・トポ』も見ているが少年のペニスは勃起していなかった筈だ。勃起の有無に関わらず興奮しねえよ。規制に激怒した。逆に大人のチンチンは汚いから(私感です)ボカシの一つも入れてくれてもよかった。
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