マンガ『俺は全てを【パリイ】する①』
- Date
- 2021/05/07/Fri 01:27
- Category
- マンガ
マンガ『俺は全てを【パリイ】する①』
原作 鍋敷・カワグチ
漫画 KRSG
アース・スター エンターテイメント
私は基本、ゲームをやらないので知らないのだが何でも【パリイ】という技はゲーム界ではメジャーな技で、語感が表わすように、初期の大した事ない技らしい。うん、「パリイ」という重みの無い語感が素晴らしい。ともかく、物に出来るか出来ないかは分からないけど、一日1000回やって、それを10年続けました、みたいな人なのだ、主人公が。その結果、独学で物凄い力を身に付けているのだが、そんなのは初歩の初歩の技だから、みな出来て当たり前だろうという自己評価が低い男が主人公。
例えば、これが現実世界なら『俺はジャブだけでボクシング全階級制覇』『俺は送りバントだけで出塁率№1』『俺は小指の大きさのチンコで歌舞伎町ホスト№1』みたいなもんだろう。ジャブだけで一試合勝ってしまう奴がいたら怖いよ。おそらく傍目には魔法かインチキみたいに見えるだろう。
このマンガの主人公は、超スキルの保有を自覚しないまま、冒険者の下請け仕事(村のどぶ浚い、雑草とり)をして、暮らしている。或る日、見知らぬ冒険者が牛(ミノタウロス)に襲われているのを無自覚にただの牛と勘違いして倒した事から、自分には到底できないと思っていた冒険者の冒険の数々に巻き込まれる事になる。
これは原作が「小説家になろう」サイトに載ったもので、いつもの通り未読なのだけど、小説である利点が凄く強く出た話だ。おそらく、小説は一人称で書かれていると思う。仮に三人称で書かれているとしても、彼の心理表現はかなり綿密に処理されているだろう。すると、小説を読んでいる人は彼と一体化してしまう。彼の考え方に自然、同調してしまう。彼の取る行動が嘘くさくても、彼になりきってしまっているので、否定できる客観性を失ってしまう。
マンガはそうはいかない。心理描写と共に、客観的に何が起きているかを絵で表現しなければいけない。つまり、主人公に強く共感しながらも、主人公を俯瞰で見る感覚になる。前にレビューであげた『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』も同パターンのマンガだが、これは主人公が徹底的に気が付かない事をコメディ仕立てにする事で、彼が超有能である事に無自覚な事のリアリティーのなさを乗り越えていた。リアリティーのない部分をドリフのコントのようにお笑いに置き換えたと言ってもいい。
その点、『俺は全てを【パリイ】する』はその面があまり上手く機能していない。前述の物語(たとえば~)同様、主人公が徹底的に気が付かない事を面白おかしく描写する事でコメディー化しようという意識は旺盛である。但し、前述の物語は主人公の設定が既に伝説級であり、普通の人の中に『ドラゴン・ボール』の孫悟空や『ドクター・スランプ』のアラレちゃんが紛れてるような、最初からお笑い全開の設定なのだ。もう、笑い一直線だ。逆に『パリイ』の場合は、主人公が怪物級である事はあっても、リアルなスケールで話は進むし、彼が自分の技術に対してリアルに低い評価であったりするのは、読んでてとても辛さを感じてしまう部分なのだ。そして、そのリアルなスケールで進む話の中で、自分の有能に気が付けない主人公はどこかおかしく見えてしまう。いい意味で技術的に有能なのだけど、悪い意味で自己評価の軸がおかしく社会性がない。お前、ちゃんとコミュニケーション取れよ、バカヤロー。
という事で、まあ、やはり、主人公にはいい目を見てほしい。そういった普通の感覚に行きつくまではまだまだっぽい。ともかく、次巻に期待する。期待せいでか。
原作 鍋敷・カワグチ
漫画 KRSG
アース・スター エンターテイメント
私は基本、ゲームをやらないので知らないのだが何でも【パリイ】という技はゲーム界ではメジャーな技で、語感が表わすように、初期の大した事ない技らしい。うん、「パリイ」という重みの無い語感が素晴らしい。ともかく、物に出来るか出来ないかは分からないけど、一日1000回やって、それを10年続けました、みたいな人なのだ、主人公が。その結果、独学で物凄い力を身に付けているのだが、そんなのは初歩の初歩の技だから、みな出来て当たり前だろうという自己評価が低い男が主人公。
例えば、これが現実世界なら『俺はジャブだけでボクシング全階級制覇』『俺は送りバントだけで出塁率№1』『俺は小指の大きさのチンコで歌舞伎町ホスト№1』みたいなもんだろう。ジャブだけで一試合勝ってしまう奴がいたら怖いよ。おそらく傍目には魔法かインチキみたいに見えるだろう。
このマンガの主人公は、超スキルの保有を自覚しないまま、冒険者の下請け仕事(村のどぶ浚い、雑草とり)をして、暮らしている。或る日、見知らぬ冒険者が牛(ミノタウロス)に襲われているのを無自覚にただの牛と勘違いして倒した事から、自分には到底できないと思っていた冒険者の冒険の数々に巻き込まれる事になる。
これは原作が「小説家になろう」サイトに載ったもので、いつもの通り未読なのだけど、小説である利点が凄く強く出た話だ。おそらく、小説は一人称で書かれていると思う。仮に三人称で書かれているとしても、彼の心理表現はかなり綿密に処理されているだろう。すると、小説を読んでいる人は彼と一体化してしまう。彼の考え方に自然、同調してしまう。彼の取る行動が嘘くさくても、彼になりきってしまっているので、否定できる客観性を失ってしまう。
マンガはそうはいかない。心理描写と共に、客観的に何が起きているかを絵で表現しなければいけない。つまり、主人公に強く共感しながらも、主人公を俯瞰で見る感覚になる。前にレビューであげた『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』も同パターンのマンガだが、これは主人公が徹底的に気が付かない事をコメディ仕立てにする事で、彼が超有能である事に無自覚な事のリアリティーのなさを乗り越えていた。リアリティーのない部分をドリフのコントのようにお笑いに置き換えたと言ってもいい。
その点、『俺は全てを【パリイ】する』はその面があまり上手く機能していない。前述の物語(たとえば~)同様、主人公が徹底的に気が付かない事を面白おかしく描写する事でコメディー化しようという意識は旺盛である。但し、前述の物語は主人公の設定が既に伝説級であり、普通の人の中に『ドラゴン・ボール』の孫悟空や『ドクター・スランプ』のアラレちゃんが紛れてるような、最初からお笑い全開の設定なのだ。もう、笑い一直線だ。逆に『パリイ』の場合は、主人公が怪物級である事はあっても、リアルなスケールで話は進むし、彼が自分の技術に対してリアルに低い評価であったりするのは、読んでてとても辛さを感じてしまう部分なのだ。そして、そのリアルなスケールで進む話の中で、自分の有能に気が付けない主人公はどこかおかしく見えてしまう。いい意味で技術的に有能なのだけど、悪い意味で自己評価の軸がおかしく社会性がない。お前、ちゃんとコミュニケーション取れよ、バカヤロー。
という事で、まあ、やはり、主人公にはいい目を見てほしい。そういった普通の感覚に行きつくまではまだまだっぽい。ともかく、次巻に期待する。期待せいでか。
スポンサーサイト