『Arc アーク』丸の内ピカデリー1
- Date
- 2021/07/11/Sun 09:05
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『Arc アーク』丸の内ピカデリー1

▲対芸能マスコミっぽい記者会見。
五つ星評価で【★★★多分、私が見たかったのはこの部分ではない】
映画前半部分で不老不死の基盤となる死体に対するプラスティネーション施術が施されるが、あれの趣味が良くない。あれ、深作欣二版『黒蜥蜴』で「美しい人の姿形が醜く変容してしまうのがイヤ」という理由で剥製にされてしまうのと何ら変わらないのだが、『Arc アーク』での、その美の造形は厚化粧のようで好きになれない。それは単に「嗜好」の問題かもしれないが、死んだ時に生前と変わらないように行う「死に化粧」とは異なり、その人個人の人生を粉飾する「後付けの装飾」に私には見えてしまった。私だったら、あんな形で死体をどこかに飾られるのは「おいおい勘弁してくれよ」と思う。「いけないルージュ・マジック」かよ、みたいな。
なんか色々ピンと来なかった。
芳根京子と小林薫の関係性などは面白いと思ったが、まあ、それはそれで「そういうケース」という「個の話」であろう。私は、どちらかと言うと傍流的に語られる「不老不死」の導入により、世界がどう変わっていくかの方に対する興味の方が強かったのだ。
その施術を持つ者と持たざる者との間に断絶が出来ると言う考えは面白い。そして、それが一般化・大衆化される事により、社会に浸透していき、それと同時に自殺率が高まると言うのも「ふーん」と思った。
いや、死なないだろ。老いに対する心配がなくなったとして、人々はやる事がなくなった、退屈であるという理由でそうそう自死を選ばないと思う。日本では高齢者の自殺率は決して低くないが、その理由は身体機能の衰えや病気などによるものなので、この不老不死(プラス不病)の世界観の中では自殺率は下がる筈だ。老いなくなった人達は何をするのか? 恋やセックス、今の若者文化の継続・延長だろうか。今は経済的に子供など持てない夫婦が多くいて少子高齢化が進んでいるが、高齢の部分がそのまま経済活動を行う者として残るなら、子供の数も抑制が出来ずに、逆に問題になるほど増えていくのではないか。今、政権中枢にいる爺様たちには、施術が不可能な年齢などで自然にどいてもらうが、その次の施術が施された世代で代議士になった者は100年も200年も政治かとして居座る事になる。それは単純にこの国の政治が年功序列で、昔からいる者に権力が集まる可能性が強いからだ。
どちらかと言うと、芳根京子が生活している離れ島のコミュニティみたいな優しい人達の描写より、日本や世界の中枢で、最高齢の人達が為政者として固定してしまうのではないか、みたいな社会の枠組みの話の方が私は見たかった。
私達は寿命を持っているので、寿命を持たない人達のメンタリティは分からない、という意見がある。でも、類推くらいならしてもいいだろう。私達は一定年齢で次の世代にバトンタッチをする「草」みたいな生き物である。寿命がなくなるという事は「樹」のような生き物に変わると言う事だろう。そんなに大きな変化だろうか。身体は一定以上に大きくならないが、どんな年を取っても花粉は飛ばす(セックスはする)。問題は樹が実を付けて、その実を腐らせて土壌を豊かにするような、循環規則を環境的に維持できなそうという事ではないか。自殺がブームになってくれたりしないと、人口増で食い扶持ばかり増えていってしまう。国民総背番号制で、国民数に上限を設け、誰かが亡くなったら出産許可が下りるみたいになるか。もしくは手塚治虫が『海のトリトン』での不死の生き物ポセイドン族で描いたように、先祖はただ深い井戸に潜って生態活動を止めるようにして生きるか。それでも、飯は食うから誰かがその飯を作らないといけない。やはり、社会の枠組みがどう変わるかの方が面白そうである。
あと、動物は上限となる心拍数があり、その心拍数を打った数で寿命を迎えるというのもある。テロメアの欠落防止を図る事で理屈的には200~300年の寿命を得るかもしれない。でも、臓器が持たない。身体内の臓器はそこまで長期使用を計画して作られていない。老いないし、死なないが、臓器不全が多くなるなら自殺者は徐々に増えていくのか。
いろいろな事を考えるキッカケとしては面白いけど、話はそんなに好みではない。というところかな。
【銭】
松竹の会員6回有料入場ポイントを使って無料鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・Arc アーク@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です(一部TBなし)。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・Arc アーク@ノラネコの呑んで観るシネマ

▲対芸能マスコミっぽい記者会見。
五つ星評価で【★★★多分、私が見たかったのはこの部分ではない】
映画前半部分で不老不死の基盤となる死体に対するプラスティネーション施術が施されるが、あれの趣味が良くない。あれ、深作欣二版『黒蜥蜴』で「美しい人の姿形が醜く変容してしまうのがイヤ」という理由で剥製にされてしまうのと何ら変わらないのだが、『Arc アーク』での、その美の造形は厚化粧のようで好きになれない。それは単に「嗜好」の問題かもしれないが、死んだ時に生前と変わらないように行う「死に化粧」とは異なり、その人個人の人生を粉飾する「後付けの装飾」に私には見えてしまった。私だったら、あんな形で死体をどこかに飾られるのは「おいおい勘弁してくれよ」と思う。「いけないルージュ・マジック」かよ、みたいな。
なんか色々ピンと来なかった。
芳根京子と小林薫の関係性などは面白いと思ったが、まあ、それはそれで「そういうケース」という「個の話」であろう。私は、どちらかと言うと傍流的に語られる「不老不死」の導入により、世界がどう変わっていくかの方に対する興味の方が強かったのだ。
その施術を持つ者と持たざる者との間に断絶が出来ると言う考えは面白い。そして、それが一般化・大衆化される事により、社会に浸透していき、それと同時に自殺率が高まると言うのも「ふーん」と思った。
いや、死なないだろ。老いに対する心配がなくなったとして、人々はやる事がなくなった、退屈であるという理由でそうそう自死を選ばないと思う。日本では高齢者の自殺率は決して低くないが、その理由は身体機能の衰えや病気などによるものなので、この不老不死(プラス不病)の世界観の中では自殺率は下がる筈だ。老いなくなった人達は何をするのか? 恋やセックス、今の若者文化の継続・延長だろうか。今は経済的に子供など持てない夫婦が多くいて少子高齢化が進んでいるが、高齢の部分がそのまま経済活動を行う者として残るなら、子供の数も抑制が出来ずに、逆に問題になるほど増えていくのではないか。今、政権中枢にいる爺様たちには、施術が不可能な年齢などで自然にどいてもらうが、その次の施術が施された世代で代議士になった者は100年も200年も政治かとして居座る事になる。それは単純にこの国の政治が年功序列で、昔からいる者に権力が集まる可能性が強いからだ。
どちらかと言うと、芳根京子が生活している離れ島のコミュニティみたいな優しい人達の描写より、日本や世界の中枢で、最高齢の人達が為政者として固定してしまうのではないか、みたいな社会の枠組みの話の方が私は見たかった。
私達は寿命を持っているので、寿命を持たない人達のメンタリティは分からない、という意見がある。でも、類推くらいならしてもいいだろう。私達は一定年齢で次の世代にバトンタッチをする「草」みたいな生き物である。寿命がなくなるという事は「樹」のような生き物に変わると言う事だろう。そんなに大きな変化だろうか。身体は一定以上に大きくならないが、どんな年を取っても花粉は飛ばす(セックスはする)。問題は樹が実を付けて、その実を腐らせて土壌を豊かにするような、循環規則を環境的に維持できなそうという事ではないか。自殺がブームになってくれたりしないと、人口増で食い扶持ばかり増えていってしまう。国民総背番号制で、国民数に上限を設け、誰かが亡くなったら出産許可が下りるみたいになるか。もしくは手塚治虫が『海のトリトン』での不死の生き物ポセイドン族で描いたように、先祖はただ深い井戸に潜って生態活動を止めるようにして生きるか。それでも、飯は食うから誰かがその飯を作らないといけない。やはり、社会の枠組みがどう変わるかの方が面白そうである。
あと、動物は上限となる心拍数があり、その心拍数を打った数で寿命を迎えるというのもある。テロメアの欠落防止を図る事で理屈的には200~300年の寿命を得るかもしれない。でも、臓器が持たない。身体内の臓器はそこまで長期使用を計画して作られていない。老いないし、死なないが、臓器不全が多くなるなら自殺者は徐々に増えていくのか。
いろいろな事を考えるキッカケとしては面白いけど、話はそんなに好みではない。というところかな。
【銭】
松竹の会員6回有料入場ポイントを使って無料鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・Arc アーク@ぴあ映画生活
▼この記事から次の記事に初期TBとコメントを付けさせて貰ってます。お世話様です(一部TBなし)。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・Arc アーク@ノラネコの呑んで観るシネマ
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