『恋する寄生虫』ユナイテッドシネマ豊洲12
- Date
- 2021/11/23/Tue 07:17
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『恋する寄生虫』ユナイテッドシネマ豊洲12

▲無双菜奈さま。
五つ星評価で【★★ボロボロの王子様がボロボロのお姫様を迎えに行く辺りまでは好き】
前半、それぞれ社会から受け入れられない為に、無駄に加虐的にガサツな小松菜奈と、無駄に被虐的にナイーブな林遣都が無理やりボーイ・ミーツ・ガールさせられる。この強引なシチュエーションや、その成り立たない感じは好き。でも、すったもんだの挙句、二人は割と簡単にお互いが近くにいても苦にならない関係にステップアップしてしまう。は? 何、あんたらバカ? みたいにこの邂逅が受け入れられなかった。幼少時から拗れて拗れて大人にまでなったというのに、その拗れ方に一貫性がない、薄い、プライドがない。二人は社会を憎み社会から憎まれる独自な一人ずつから、社会を憎み社会から憎まれる一組に昇格する。そんなサカリの付いた猫のように、相手を信頼できる理由が分からない。相手も自分同様に絶望しているから、と言うのは幻想にすぎず、社会的最底辺の貧乏人が自分の命の為に同じ最底辺の貧乏人を歯牙にかけるなんて事は日常茶飯事である。そんなお互い「絶望してる同士」だから、相手を信頼するなどという幻想を信じるなんて甘ちゃんもいい所だ。視線恐怖症は他者に自分が下される評価を無視できない、潔癖症は自分の領域に汚染した他者を入れられない。どちらも強い強迫観念による物でそれを打ち崩す事が「理性」や「思いやり」なら、十年以上苦しむ間に治癒に向かう瞬間はあったに違いない。
そこで新たなビジョンが導入される。二人は同じ寄生虫持ちなのだと言う。これもよく分からない。鼠と猫の例が出される。寄生虫が本来の宿主に生殖されるために中途宿主の心理を操作する。別に小松菜奈が林遣都を生食する訳ではないので(生殖はありうるのだが)、彼等の内部にいる寄生虫が彼等同士を認め合うようなメンタリティーに導く理由が分からない。小松菜奈の自死を断念させる為かもしれないが、この寄生虫の成長により小松菜奈は死ぬと言われている。つまり、寄生虫は小松菜奈が自死を選ぼうが選ぶまいが宿主を殺してしまうのだ。その為に、別の宿主(虫自身が移ると言うより、虫の子供を移して感染させる)を探しているのなら分かる。だが、林遣都も既に感染しているのだと言う。彼等の関係は同根なのだと言う。では、虫同士によるメリットはあるまい。同じように症状が悪化している林遣都も又、死期が近い筈だ。
元々この虫が宿主に対して起こす他者への非共感アクション自体が虫の繁殖を妨げてしまう。何故、そう言った不具合が発生するのかと言えば、おそらく彼等に取りついている寄生虫は本来、人間に取りつく種類の寄生虫ではないのだろう。彼等自身の存在そのものが宿主に影響を与え、彼等の繁殖を封じてしまう。だから宿主同士を共感対象にすると言うイレギュラーな動きをするのかもしれない。
あと、林遣都はこの映画の中でよく吐く。あの吐瀉物から他者に対してほぼ感染しないのだから、この寄生虫の感染力はかなり低いと思っていい。「自分以外全部汚いと思っているんだぜ」という揶揄に対して、「実は一番汚いのは感染している彼」と言うのが物凄く残酷。
キスか? ゲロで移らないのにキスで移ったりはするのか? 舌先に卵を付けて次の宿主にグイグイ押し付けて渡すのか?
みたいに見てしまってライトに楽しめなかった。
石橋亮が医学をやる風には全く見えない。針治療とかやりながら変な漢方薬を流してるブローカーっぽい風貌である。
小松菜奈と林遣都が二人ともバオー・アームド・フェノメノンみたいになってほしかった。できれば武装しながら見せる所は見せてセックスしてほしかった。
小松菜奈の何かに付け何かをけっぽる脚が綺麗でたまらん。
【銭】
前回入場時に手渡されたサービス割引券で1300円で鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・恋する寄生虫@ぴあ映画生活

▲無双菜奈さま。
五つ星評価で【★★ボロボロの王子様がボロボロのお姫様を迎えに行く辺りまでは好き】
前半、それぞれ社会から受け入れられない為に、無駄に加虐的にガサツな小松菜奈と、無駄に被虐的にナイーブな林遣都が無理やりボーイ・ミーツ・ガールさせられる。この強引なシチュエーションや、その成り立たない感じは好き。でも、すったもんだの挙句、二人は割と簡単にお互いが近くにいても苦にならない関係にステップアップしてしまう。は? 何、あんたらバカ? みたいにこの邂逅が受け入れられなかった。幼少時から拗れて拗れて大人にまでなったというのに、その拗れ方に一貫性がない、薄い、プライドがない。二人は社会を憎み社会から憎まれる独自な一人ずつから、社会を憎み社会から憎まれる一組に昇格する。そんなサカリの付いた猫のように、相手を信頼できる理由が分からない。相手も自分同様に絶望しているから、と言うのは幻想にすぎず、社会的最底辺の貧乏人が自分の命の為に同じ最底辺の貧乏人を歯牙にかけるなんて事は日常茶飯事である。そんなお互い「絶望してる同士」だから、相手を信頼するなどという幻想を信じるなんて甘ちゃんもいい所だ。視線恐怖症は他者に自分が下される評価を無視できない、潔癖症は自分の領域に汚染した他者を入れられない。どちらも強い強迫観念による物でそれを打ち崩す事が「理性」や「思いやり」なら、十年以上苦しむ間に治癒に向かう瞬間はあったに違いない。
そこで新たなビジョンが導入される。二人は同じ寄生虫持ちなのだと言う。これもよく分からない。鼠と猫の例が出される。寄生虫が本来の宿主に生殖されるために中途宿主の心理を操作する。別に小松菜奈が林遣都を生食する訳ではないので(生殖はありうるのだが)、彼等の内部にいる寄生虫が彼等同士を認め合うようなメンタリティーに導く理由が分からない。小松菜奈の自死を断念させる為かもしれないが、この寄生虫の成長により小松菜奈は死ぬと言われている。つまり、寄生虫は小松菜奈が自死を選ぼうが選ぶまいが宿主を殺してしまうのだ。その為に、別の宿主(虫自身が移ると言うより、虫の子供を移して感染させる)を探しているのなら分かる。だが、林遣都も既に感染しているのだと言う。彼等の関係は同根なのだと言う。では、虫同士によるメリットはあるまい。同じように症状が悪化している林遣都も又、死期が近い筈だ。
元々この虫が宿主に対して起こす他者への非共感アクション自体が虫の繁殖を妨げてしまう。何故、そう言った不具合が発生するのかと言えば、おそらく彼等に取りついている寄生虫は本来、人間に取りつく種類の寄生虫ではないのだろう。彼等自身の存在そのものが宿主に影響を与え、彼等の繁殖を封じてしまう。だから宿主同士を共感対象にすると言うイレギュラーな動きをするのかもしれない。
あと、林遣都はこの映画の中でよく吐く。あの吐瀉物から他者に対してほぼ感染しないのだから、この寄生虫の感染力はかなり低いと思っていい。「自分以外全部汚いと思っているんだぜ」という揶揄に対して、「実は一番汚いのは感染している彼」と言うのが物凄く残酷。
キスか? ゲロで移らないのにキスで移ったりはするのか? 舌先に卵を付けて次の宿主にグイグイ押し付けて渡すのか?
みたいに見てしまってライトに楽しめなかった。
石橋亮が医学をやる風には全く見えない。針治療とかやりながら変な漢方薬を流してるブローカーっぽい風貌である。
小松菜奈と林遣都が二人ともバオー・アームド・フェノメノンみたいになってほしかった。できれば武装しながら見せる所は見せてセックスしてほしかった。
小松菜奈の何かに付け何かをけっぽる脚が綺麗でたまらん。
【銭】
前回入場時に手渡されたサービス割引券で1300円で鑑賞。
▼作品詳細などはこちらでいいかな
・恋する寄生虫@ぴあ映画生活
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