『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』ユーロスペース1
- Date
- 2022/04/13/Wed 23:58
- Category
- 映画(FC2独自レビュー)
◆『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』ユーロスペース1

▲映画ポスター。
五つ星評価で【★★苦手】
「美術史は書き換えられるのか」というコピーにあるように、抽象絵画の始祖とされているカディンスキーやモンドリアンより先に非具象絵画を描いていた者がいた。そういう話である。その人物は女性だし、神秘主義にのめり込んでいたし、という事情で当時の美術界に受け入れられなかった。ただ、当時の美術界で神秘主義にのめり込んでいたのは彼女ばかりではないので、あくまで、作者が女性であったから美術史を飾らなかったのではないかと言われる。実際は彼女自身が絵を秘匿し、死後20年は封印するように言い伝えたらしい。
美術史が書き換えられるかどうかはどうでもいい。ただ、現代美術の歴史が「これでも芸術なのか」という意匠の裏の裏をつくようなアイデア合戦で発展してきた事を考えると、その洗礼をわざと忌避したような彼女の作品は「書き換えられない」であってもいいかなと思う。「思い付く」だけでなく「発表」が大事だ。例えばマルセル・デュシャンの「泉」という作品は単に便器に「泉」というタイトルを付け、サインしただけの物だ。こんなアイデアだけの作品は発表しなければ芸術の仲間入りは出来なかろう。
さて、映画の中で彼女の具象作品、抽象作品とも取りあげられる。具象作品は別に嫌いではない。
私感であるが、抽象作品には面白味を感じられない。単に「具象でない」というだけにすぎない。同一モチーフによる連作が幾つもある事から、連作により輪郭を定めていったようだ。どちらかと言うと「世界」に対する彼女の解釈を絵で表わしたもの。でも、それだけ見ても分からない。私が凡人だからだろう。タイトルを聞くだけではピンと来ない。つまり、これは本来、説明されて初めて内容が理解できるものなのだと思う。骨董の世界の「書」に近い。
カディンスキーやモンドリアンの作品はデタラメに描いているように見えて、実はリズムがある。具体的な物を題材にしている訳ではないのに、見ていると情動が発生する。そこが「芸術」なのだと思う。
あくまで私感であるが、ヒルマ・アフ・クリントの絵画からはそれが感じづらい。何かを発信したい事は分かるが、絵画として情動に訴えるように描かれた物ではないと思う。意味はある。これは「絵」で描かれた「魔法陣」みたいなものだと思うのだ。意味はあるが、解説なしには解読できない。非漢字圏の人間から見た時の「漢字」をカラフルにしたようなものだろう。それゆえ、意味が解読される事なしには楽しめないだろう。ヒルマ・アフ・クリントは何故、自分の死後20年、作品の発表を封じたのか? 単に想像であるが、その人と成りや、過去の付きあいから、作品が解釈される事を拒んだのではないか? だとしたら、彼女の非具象作品は芸術と最も遠い所にある意匠かもしれない。そういうのをずっと見ているのは疲れる。意味が分からないのだもの。
ちなみに、彼女の作品には彼女の規定した「意味のある文字」があちこちに嵌めこまれてたりする。分かるか、そんなもん。彼女は彼女を知る者のみに彼女の作品を残したのかもしれない。それが芸術として成り立つのか、物語みたいに読み解けたりするのかは、全然関係のない私には分かりかねる。
【銭】
ユーロスペース火曜1200円均一料金。
▼作品の概要はこの辺り見てください。
・見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界@映画.com

▲映画ポスター。
五つ星評価で【★★苦手】
「美術史は書き換えられるのか」というコピーにあるように、抽象絵画の始祖とされているカディンスキーやモンドリアンより先に非具象絵画を描いていた者がいた。そういう話である。その人物は女性だし、神秘主義にのめり込んでいたし、という事情で当時の美術界に受け入れられなかった。ただ、当時の美術界で神秘主義にのめり込んでいたのは彼女ばかりではないので、あくまで、作者が女性であったから美術史を飾らなかったのではないかと言われる。実際は彼女自身が絵を秘匿し、死後20年は封印するように言い伝えたらしい。
美術史が書き換えられるかどうかはどうでもいい。ただ、現代美術の歴史が「これでも芸術なのか」という意匠の裏の裏をつくようなアイデア合戦で発展してきた事を考えると、その洗礼をわざと忌避したような彼女の作品は「書き換えられない」であってもいいかなと思う。「思い付く」だけでなく「発表」が大事だ。例えばマルセル・デュシャンの「泉」という作品は単に便器に「泉」というタイトルを付け、サインしただけの物だ。こんなアイデアだけの作品は発表しなければ芸術の仲間入りは出来なかろう。
さて、映画の中で彼女の具象作品、抽象作品とも取りあげられる。具象作品は別に嫌いではない。
私感であるが、抽象作品には面白味を感じられない。単に「具象でない」というだけにすぎない。同一モチーフによる連作が幾つもある事から、連作により輪郭を定めていったようだ。どちらかと言うと「世界」に対する彼女の解釈を絵で表わしたもの。でも、それだけ見ても分からない。私が凡人だからだろう。タイトルを聞くだけではピンと来ない。つまり、これは本来、説明されて初めて内容が理解できるものなのだと思う。骨董の世界の「書」に近い。
カディンスキーやモンドリアンの作品はデタラメに描いているように見えて、実はリズムがある。具体的な物を題材にしている訳ではないのに、見ていると情動が発生する。そこが「芸術」なのだと思う。
あくまで私感であるが、ヒルマ・アフ・クリントの絵画からはそれが感じづらい。何かを発信したい事は分かるが、絵画として情動に訴えるように描かれた物ではないと思う。意味はある。これは「絵」で描かれた「魔法陣」みたいなものだと思うのだ。意味はあるが、解説なしには解読できない。非漢字圏の人間から見た時の「漢字」をカラフルにしたようなものだろう。それゆえ、意味が解読される事なしには楽しめないだろう。ヒルマ・アフ・クリントは何故、自分の死後20年、作品の発表を封じたのか? 単に想像であるが、その人と成りや、過去の付きあいから、作品が解釈される事を拒んだのではないか? だとしたら、彼女の非具象作品は芸術と最も遠い所にある意匠かもしれない。そういうのをずっと見ているのは疲れる。意味が分からないのだもの。
ちなみに、彼女の作品には彼女の規定した「意味のある文字」があちこちに嵌めこまれてたりする。分かるか、そんなもん。彼女は彼女を知る者のみに彼女の作品を残したのかもしれない。それが芸術として成り立つのか、物語みたいに読み解けたりするのかは、全然関係のない私には分かりかねる。
【銭】
ユーロスペース火曜1200円均一料金。
▼作品の概要はこの辺り見てください。
・見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界@映画.com
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